母の手はいつも濡れている。
母の手はいつも赤く、冷たく、荒れている。
母の背中はいつも切なそうである。
母はいつも疲れ切ったように萎れ、ご飯を食べているときはそそくさと申し訳なさそうに食べ、そして数年前に手術で切ったお腹からは涙が出ているようにさえ見える。
そんな母親を私は尊敬するのだ。
自分を犠牲にして萎れるまで働き詰め、子供達にご飯を食べさせ、同じく働き詰めの父に美味しい手料理をふるまい、切なげで、しかし立派なその姿と、赤く冷たい手で常に常に子供や家計や家族のことを考え、時にはそのか細い体で大いに歓迎し、時には寂しそうなその背中で別れを告げる。
そんな母親を尊敬するのだ。
私が将来母親になるチャンスがあるとしたら、そんな振る舞いが続けられるだろうか。
彼女の壮絶で複雑な人生は聴くだけでぞっとするほどである。そんな人生だったからこそ、私たちが安心して帰ってこれるような家庭を築けたのだろうか。
私は母親を尊敬している。
私は母親には一生勝てない。
私は母親のようにはなれない。