ある日駅のホームの奥の方で体調を崩した。フラつきながら歩いて、やがて貧血で倒れてしまった。

通りすがる人々、そして駅員にさえも気づかれず、しばらくの間、ひとり辛い思いをした。


その時思った。
「日本人、サイテーだな」って。






そんな話を私は友人から聞いたことがある。

私はその場を、確かにそうだよね、と同意してやり過ごしたが、ほんの少しの違和感が残ったのを覚えている。



そして最近ふと、その違和感について考えた時、ある考えが浮かんだのである。


現代の社会において、緊急事態になっても尚、自分には関係のないことだと考える人間は多いのではないか。

現代の社会において、そして責任の多いこの世の中で、少しでも自分の負担を減らしたいと、責任から逃れたいと、

誰しもが憧れるヒーローではなくて、通行人Aとして生きるのが妥当だと考える人間は多いのではないか。




この環境、状況を創り出したのは、「日本人」ではなく、通行人Aを量産し続け、通行人Aだらけになってしまった「日本社会」ではないのか。



私はふと、そう気づいたのである。