昨日は、レイバー・デー(労働の日)の休日だったので、

休みの日に観ようね、と買ってあった

娘と「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)のDVDを観ました。

別に「労働の日」に合わせたわけじゃ、ないんですが。


ところで、これまで「去りぬ」で去っていったのは、いったい何だったんだろうと

思っていたのですが、皆さんご存知でしたか?


最後にレット・バトラーが去っていった?

いえいえ、違うんです。


映画の一番最初のところに、テロップで

「紳士や淑女、奴隷たちの

南部の時代は、風のように去っていった」(要約)

という説明があるんです。

「時代」というのは、原文ではCivilizationとありますが、

この場合、「文明」と訳すより、「時代」と訳したほうが

しっくりくる気がします。


そうだったんだ!

風と共に、一瞬のようにして去っていったのは、

南部のきらびやかな「時代」だったのですね。



しかしビビアン・リー演じるスカーレット、小悪魔というか、

映画史上まれに見る、最悪のヒロインですねー。

二人の間にできた子供ボニーを溺愛する、レット・バトラー。

それは、スカーレットを思い通りにできないので、

スカーレットへ注ぎたかった愛情を、ボニーに注ぐことで、

自分を愛してくれるお姫様を育てたかったんだと告白するシーンがあります。

そんなシーンは、昔見ても気づかなかったです。

なるほどね~。複雑だなぁ~。



ちなみに娘のかりんは、最後まで見て、ハッピーエンドでなかったので、

がっくりしてました。


そういえば、昔のアメリカ映画って、ハッピーエンドで終わらないのが多かったんですね。

「カサブランカ」もそうだし、

バーバラ・ストライザンドの「ファニーフェイス」も。

「ローマの休日」も、ハッピーだけれど別れで終わる。


最後に結ばれないからこそ昇華する?

それとも、別れだけれど、出会ったことで何かが変わった主人公たちの

新たな出発が、そこから始まる?


そんな感じなんですねー。

昔見たことのある映画を、年を経て、また観るのって、結構面白い発見があるものですね。