信じられないくらい哀しい、残酷な事件が起こってしまいました。

私がこんなブログを書いても何の解決にもならないことはわかっています。

でも、2人の不安・恐怖・空腹・苦しみ・そしてそんな絶望の中でもママが大好きで、ママを求める気持ちを想像すると、この気持ちをどうすることもできないのです。


私は、一つのニュースを知るときに、一社の新聞・TVだけを鵜呑みにせず、何社かを読み比べてから信じるようにしていますが、今回の事件はあまりに惨すぎて、ただ信じたくないだけなのかもしれません。


彼女のしたことは、人間として決して許されることではありません。


でも、自分の23歳のときのことを思い返すと、100%自分のことしか考えていない時代でした。



彼女が母親の愛情を受けて育っていたら?

父子家庭になっても、清潔な家で手作りのものを食べて育っていたら?

離婚後、育児のことを本音で話せる友達がいたら?

「少しの間、2人を見ててあげるから、ちょっと一人になってきなよ」と言ってくれる信頼できる人に出逢っていたら?

児童相談所の訪問員の方が、2人が泣いているタイミングで訪問していたら?

何の音も声もしなくても、強行で侵入していたら?


どこかにこの最悪の結果を回避できたターニングポイントがあったような気がして悔やまれてなりません。


命より大切なものは、無いと思うんです。






読まなければ良いのに、犯人の昔のブログを読んでしまいました。



『今日あたりめ食べてたら桜子に一本取られました。しばらくあたりめ離さなかったらおかげで桜子の手があたりめくさくなりました。おっさんみたいなあかんぼうです、ばんざい。


どんな桜子も本当に愛おしく思えます。たとえあたりめくさくなろうが、大事な娘です。

いっそのことあたりめ親子とでも呼んでやってください。』


これを書いているときは、本当に桜子ちゃんのことを愛していたのだと信じたい。




育児って、決してママ一人では出来ないことだと思います。

24時間休み無く続く子供の世話。

思い通りに進まない毎日。子供は自分中心の世界ですから容赦なく反抗しますし、ママの言うことを聞き入れてくれません。

でも、世間からは「母親とはこうあるべき」みたいな価値観を押し付けられ、子供がきちんと育っていないと、すべて母の育て方の責任とそれこそ容赦なく批判されます。批判することで自分の正義感を誇張しているかのように。


私も、子供との楽しいことばかりブログに書いていますが、疲れて一人になりたいって思うことは何度もあります。

そして実際、夫や自分の親、夫の親等に預けて一人の時間を楽しんで、数時間後に子供と再会して子供が更に愛しく思える時があります。


これと「子供なんていなければよかった」と思う気持ち、全く違うものだとは言い切れないと思うんです。





かといって、私に今出来ることは何なのかを考えたとき、何も答えを見つけることが出来ませんでした。


虐待の刑を重くする署名もありましたが、厳罰化しただけで虐待がなくなるとは思えません。




私は普段、スピリチュアル的なことは信じていないのですが、昔、テレビだったかで江原啓之さんが

“心から冥福を祈ってくれる人の数が多ければ、必ず成仏して幸せに生まれ変われる”

という趣旨のことを仰っていたと思います。


こんな時だけそれを信じるのはずるいかも知れませんが、献花やお供えにいらしている方、ニュースを見て心を痛めてる方の思いが、2人を安らかに天国へ導いていると信じて、この考えで気持ちを収めようと思います。


優しいパパとママがにこにこ笑いながら、大きなお腹をなでて、話しかけている。。。。

そんな新しい素敵なおうちを見つけ、2人であっちに行きたいね、と旅立ったんだと。


今度は、美味しいご飯をたくさん食べて、パパとママといっぱい遊んで、幸せにすくすく大きくなれる。


そう信じたいと思います。



絶対に、もう二度とこんな悲しい事件が起こりませんように。


私にも出来る何かを、さがしていきたいと思います。