ご無沙汰しておりますおねがい

天候が落ち着かずですね…身体に堪えますね


一昨日19日は母の祥月命日でした


あの日から3年の月日が経ちました

ここ最近は自分の生活の忙しさで月命日を過ぎてしまう事が1、2回あったり… あぁ、、私って薄情なのかなって落ち込んだり


今月10日過ぎ辺りからなんとも言えない胸のざわつき、動悸があって… あぁ あの日が近づいてきたんだなって

月命日とはやっぱり違う

意識していないのに全身で反応してた。。


車の運転中や部屋に居てもポロポロ涙が止まらない…


最強の晴れ女の母だったのに

その日は雨でした

これ迄の3年間 19日は全て晴れか、雨でもお墓に着くと青空が出ていたのにね…  初めての雨でした





  

昨日20日は父の通院でした

そう!正にあの日に行っていた病院

あれからずっと病院への付添は兄か義理姉に…

とてもじゃないけれど私は行けなかった  フラッシュバックが怖くて…   


あの日病院からいくら電話しても出ない母… 胸騒ぎがした  

怖くて怖くて手脚が震えた1時間の帰り道…


今回たまたま半年に一度の通院が昨日になって…私しか都合がつかず様々な思いの中 父と病院へ…


行きの車中で  『通院があの日じゃ無かったらどうだったのかな…』って父

『分からないね…  お母さんにしか分からないよね… 』

行き帰り動悸は止まらなかった


勝手な考えだけど

3年なんだからそろそろ区切りつけなさい!って母に言われているような気がした

怖くて避けていた事が偶然この時期になった事… 今回に限り私しか都合がつかなかった事…

『そろそろ克服しなさい!』

そう言ってる?ねぇ母さん


ひとつ救いだったのは車が変わった事

車中の雰囲気が違うと見える景色も何となくだけど違って見えた…

せめてもの救いだったかな


悲しみも喪失感も後悔も自責の念もやっぱりあの時のまま


でも今自分の居る環境はかなり変わった

あの苦しみの中生きる為に始めた事 そこからの沢山の新たな出会い


母が生きていたら気付かなかった様々な事、見えなかったもの


私自身は明らかに変わったと思う…   


母の死後 本当に支えられた


どこか独りよがりで居た私が

上辺だけではなく心の奥底から周りとの繋がりに感謝し大切にしたいと思えた



『人生において無駄なことは無い』

『全てに意味がある』

『乗り越えられない試練はない』


全く意味が分からなかった言葉


ま、上辺では分かってたかな。。


母の自死に何の、どんな意味があるの!? 地獄しかないよ!

乗り越えたくなんてない!

乗り越えるとかそんな次元じゃない!

こんな試練なんて要らない!


どんなに苛立ち腹立たしかったか


きっと、、人を成長させる為乗り越えさせる為にわざわざ辛い出来事が起きるのではなくて、、


起きた現実の中でもがき苦しみ

新たに踏み出せた時

この言葉の意味が何となく分かるのかも…

50にして私は初めてそう感じました。。


それすら分からない程の絶望の中にいる自死遺族の私でした…



私が何を一番思ったか…

それは母の死を無駄にしたくないって事

無意味なものにするかしないかは

遺された者の生き方なんだなって…   

母の死を死んだままにしたくない!!生きたものにしたい。。


意味を持たせなきゃって…


『天国で悲しんでるよ』『いつまでも泣いてたら安心して成仏出来ないよ』散々言われた


そんなの周りに言われても無理 

自らが時間の経過と共に思えた事だったから…  



母さんに穏やかな気持ちで居てもらいたい…   

私がいつまでも暗く下を向いていたらきっと苦しむね…  

その意味も分かった気がする


でもそう思えたのもほんとここ最近です


『笑うとお母さんに良く似てるね~!』って

母さんの遺影を見た人に最近良く言われる



母さんはいつも笑っていたね。。

私も笑っていきたい


この笑顔全開の写真を遺影にしてずっと苦しかったけど

今はこの笑顔にホッとする

これを選んで良かった。。




皆で頑張って生きるから。。


母さん…


会いたいよ