母さんもさ

ばあちゃんを自死で喪ってから

約40年近く

やっぱりこうして毎日毎日常に

ばあちゃんを思いながら生きてきたのね








母をはじめ叔母たちはあの頃子育て真っ只中



残されたじいちゃんと21歳の兄ちゃん(母の一番下の弟)を心配し姉妹で交代で実家に泊まりに行っていたそう


最近叔母から聞いた

『ばあちゃんの死から半年が過ぎた頃かな…

姉ちゃん(母)は

もう私は進むから!!守るべき家族がいるんだからこの気持ちを断ち切る!!って言ったのよ。。それからは ばあちゃんの事は口にしなかったのよ… おばちゃんね、姉ちゃんは強いなって… 

冷たいとさえ思っちゃったよ』って…


そう

母さんはそうゆう女性


けどね決して冷たいんじゃないんだよ…


いつでも目の前の事に全力

手を抜かない

娘の私から見てもカッコイイ女性で…



『一番大切な事を見失ったら駄目よ!』


良くそう言われた


あの頃の一番大切なものは

父と兄と私だったんだよね



母さんは

ばあちゃんがそんな死だったなんて微塵も思わせなかった

その位明るくてパワフルな女性だった



悲しみに蓋をした母

隠して

元気に振る舞ってきた



あの時代の自死

昔から名家だった母の実家

ここぞとばかりにあることない事

様々な事を言われ噂され

とても辛い思いをしたって


そんな中でも逃げること無く

人前に出続けてきた母


今考えてもやっぱり凄いなって思う…


その源は私達家族だったんだね



『父さんやあんた達が居たから母さんは生きてこれた! 友達や叔父や叔母さん達が居てくれたしね』






私達が独立し 時間を持てるようになってから

改めてばあちゃんの死と向き合う事になったよね


改めてでは無くてきっとはじめてなのかも


忙しさに追われ

年月が経ち何となく消化出来てると思っていたのかもしれない

でも全くの逆だった

きっと凄く戸惑ったはず


こうゆう事は自然と消化する事じゃない…



蓋を開けたらもっともっと悲しみは深く大きくなっていたんだよね

全くもって穴は埋められていなかったんだと思う


そこに自分の老いや身体の不調なども重なる


辛かったよね…




きっと辛い事にこそ向き合わないとなんだよね


悲しみにどっぷり浸って泣いて泣いて…

落ちて落ちて…   


逆にそうなるのを怖くて避けたいとも思ったけど


それはその先生きていくために必要な時間なんだって思う…


けど私みたいに独り身ならそれも出来るけれど

家族が居たらそれも難しいかったよね…

その時間すら持てないだろうし…




ばあちゃんの死から30年近くなった頃から

母さんはふとした時

とても暗い顔をする様になった

寂しそうな悲しそうな…


殆ど視力の無い中で

どんな気持ちで…




最後まで人の事ばかり考えてさ

自身を後回しに生きてきた母




そんな母さんが

あの日だけは自分の事しか考えなかったのかな…



皆の顔は浮かばなかったの…



ばあちゃんに会いたくなっちゃったの?

母さんだって娘なんだもんね…




無事会えたのかな…


ばあちゃんは迎えに来てくれたんだよね…





この時期は

やっぱり哀しくて哀しく

朝から涙が止まらなくなる…



もうすぐお盆が来るよ…



会いたくて堪らない…