あの日。
妊娠12週に入り、かかりつけのクリニックと提携の総合病院で分娩予約を取るため予約を入れていた。
ここの総合病院では4Dが見られるのだが、総合病院では分娩予約のみということで、残念ながら見てもらえないまま、とりあえず先生の診察ということになった。
先生はとってもユニークな先生と評判の医師。
この先生がいいなあと思っていたので、本当に嬉しかった。
評判どおり、面白い先生だった。
いろんなことを聞いてくるんだけど(一応診察)手術歴を話していたら担当医は誰だと言う話しになり
「一回目が松〇先生で、二回目は渋〇先生です」
と言うと
「まっちゃんとしぶ〇んね」
と返してくる。
「ご主人の身長と体重は?」
と聞かれ
「175センチの54キロです」
と答えれば
「アンガールズか!?ヒョロッヒョロやな!!」
とつっこんでくる。
(実際は173センチだったらしいw個人的には168センチだと思っていたのに、175センチだって言われたことがあり、真に受けていたら嘘だった)
飽きさせず、コミュニケーションをとってくれる先生みたいでした。
一見怖そうだけど、優しい。
口調はキツイけど、楽しい。
そんな感じ。
こんな会話は、私がすでにベッドに横たわり、先生はPCをカタカタ。
どうやら通常の2Dでのエコーは見てくれるみたい。
嬉しいな。
ちゃんとお腹の子が確認できると安心できるモンね。
1ヶ月に1回の検診って、日々不安になる。
いくら安定期になっていってるからって、やっぱり不安だもん。
先生がベッドにやってきて、お腹にジェルを塗りながら会話は私の手術歴から、鼻のアレルギーの話になり。
「焼いたの?」
「ハイ」(実際は神経?切断してたの忘れてて焼いたって返事した)
「あれ、利かないでしょ。すぐ戻っちゃうんだよね。アレルギーでいいこと教えてあげようか?」
(この辺でエコーをお腹に当ててくれた。)
「はい!」
(私、エコーの映像を見てる。なんかおかしい気が一瞬よぎる)
「子供用の綿棒あるでしょう?あれを・・・ん?」
ドンドン!!!
エコーのあの機械?を、お腹に激しくぶつける先生。
一瞬静まる室内。
先生が口ごもるような、なんともいえない表情をした。
「心臓、動いてないですか?」
先生は
「アレルギーの話なんかしてる場合ちゃうな」
と言い・・・
「動いてない。これ、ほら、ないやろ」
「・・・はい・・・」
「あかん。これ、とまっとるわ」
この辺、何を発したか覚えていないけれど
「こんなはずじゃなかったのに」
と言ったら
「こんなこと想定してここに来る人なんておらんよ!」
と言われたのは鮮明に覚えています。
いきなり現実と思えない状況でしたが、徐々に本当なんだと・・・うまくいえないけれど、肩を震わし泣く・・・のに、涙が出てこない。でも泣くときのあの感じ・・・
でも体は震え、嗚咽のように何かが漏れる感じ。
そして、ベッドから下り、先生の前に座り、会話をしているうちに急に涙が溢れ出しました。
エコーが壊れてたって、笑って欲しい
こんなの現実じゃない!!だれかそう言って!!
そう願っても、現実は変わりませんでした。
「今日明日にでもかかりつけのクリックへ行ってきて下さい」
かかりつけのクリックへ先生が電話をかけながら私に言いました。
繋がったかと思った電話は最初留守電だったようで、用件を伝え電話は切られました。
すぐに折り返しの電話がきて、先生が話をすると、すぐに電話が切られました。
「あちらは何もできないのでそちらでお願いしますとのことでしたから、明日うちに入院して明後日に出産しましょう」
と言われました。
確かに分娩設備が無いからこちらにいるわけで、良く考えればそれはそうなんだけど、私はこの言葉にショックを受けました。
ずっとお世話になろうと信じて決めたかかりつけ医に見放されたような気がしたのです。
そのままあれよあれよという間に予約がされていき、医師から
「では明日、2時に来て下さい」
と言われ、診察室を出ることに。
鞄に手をかける前に私はハンカチをとりだし、一気に溢れ出る涙を必死で拭いました。
なんとか涙を止め、平静を保つフリをし、開けられた診察室のドアの向こうにいる沢山の妊婦さんたちに悟られぬよう、毅然とした態度に見られるように医師に「ありがとうございました」と力強く言い、看護師に連れられ産科の受け付け前のソファーに座らされました。
ま隣のソファーでは妊婦さんが幸せそうな話を看護師としていました。
その真横で私は明日に向けての書類を声に出されながら受け取りました。
そのまま産科の相談室が空いているか確認してもらうと使用中とのこと。
そのままその場で話をされそうな雰囲気だったのですぐに
「ここで話すんですか?」
と聞くと、明らかに話す気満々だった看護師でしたが、察したのか(はじめから察してくれと心底思いましたが)
「もちろんお部屋用意しますね」
と、慌てて婦人科を確認。
婦人科の相談室が空いていたのでそちらに案内されました。
そこで、明日からの流れと書類についての詳細を話されました。
記入するべきところはして、渡せるものは渡すと、コピーをしに出ていきました。
この間に主人に電話をし、赤ちゃんが亡くなっていたことを伝えました。
すぐに帰宅する!と、滅多なことで休んだり早退しない主人が慌てて帰宅してくれました。
全てが終わり、看護師に連れられ入院受け付けへ移動。
気の効かない看護師に
「気を落とさないで頑張って下さいね」
と、有り難いような有り難く無いような、微妙な励ましをもらい別れました。
入院受け付けを一通り済ませ、主人の待つであろう自宅に、自分の運転で車を走らせ、途中リーを保育園へ迎えに行き、帰宅しました。
この日、ここまでのことは詳細に覚えているのに、その後の記憶があまりありません。
ただ、冷静にメールで流産の報告をし、主人の母と実母に電話したのは覚えています。
あ。覚えていることがもうひとつ。
夕食を作ることもできず、主人が何か買ってこようか?と聞いてくれたのですが、私は・・・
「お腹の子に美味しいもの食べさせてあげたい」
と言って、先日主人の両親と家族みんなで食べた中華を食べに行くことに。
普通ならそんな気分じゃないだろうし、そんなとこに食べに行くのって非常識なのかもしれないけれど、どうしてもお腹の子に美味しいもの、そしてみんなで過ごした思い出の場所、いろんな意味で味あわせてあげたかった。
いっぱい食べて、夜に腹痛起こしたことだけはよく覚えてます(苦笑)
泣いて笑って、個室でゆっくり過ごしました。
なんだか怒涛の一日した。
ひとつビックリしたことは
エコーをみて、なんだかおかしいと思った自分。
リーの時にエコーを見ていたから、もう四ヶ月にもなれば、身体を動かしたり、心臓が動く様子も分かりやすいのを覚えていたんだと思う。
全く微動だにしなかった我が子。
それと、何か感じるものがあったのかな。
悲しい現実を理解するには時間がかかったけれど、現実は現実。
変わるものでは当然なかったです。
その瞬間。
私は誰から見ても不幸な人間になったんだと思います。
子供を流産した不幸な母親。
それでも私が世界一不幸だとは思いませんでした。
そして、その気持ちは今でも変わりません。
確かに不幸です。
でも、この不幸が訪れる前まで、私は幸福でした。
不幸と幸福も紙一重だなぁ。
でも、やっぱり世界一の不幸だとは思えません。
ただ、私の人生の中で、最悪な日々の始まりになる最初の一日でした。