刺し子、はじめてみました
母の趣味のひとつ、刺繍の世界は
飽き性でせっかちの私には無縁でしたが
しばらく、心を休ませてあげたからか
やってみようかな、、?という気持ちに。
夢中になって1時間も出来た
やりながら思ったこと。
東京で1人暮らししてる時は
こうした頭が無になる時間や
何にもならない生産性のない時間を
過ごすことが許せなくてソワソワして。
なにごとにおいても左脳フル回転で
仕事に繋がるか?
スキルアップになるのか?
将来使えるのか?
何になるの?
お金の無駄にならない?
そんなウザったい頭のお喋りがうるさくて。
やりたいという心の羅針盤🧭を無視して
いろんなことを選択していたと思う。
心のゆとりがなくて、
生産性や効率ばかり考える…
"楽しむこと"そのものに
許可が出せない人生なんて
モノクロの世界みたい
私、それ本当に
望んでた人生なのかな?
ってふと思った。
私が好きなこと、楽しいと
心が喜ぶことを沢山させてあげたい
苦しませたくないし、笑顔でいて欲しい
自分のことを大切にする
と、耳障りの良い言葉って
どこでも見聞きするようになったけど
具体的に
どうすることが自分をイジめることで
どうすることが自分を大切にすることなのか
実感レベルで自覚していたいと思う。
そうすれば
周りが自分を虐めているのか?
優しい愛情をかけてくれているのか?が
今よりも精密によく見えるようになる
するとクズみたいな人に対して
まともに対等に接したり優しくしたりすることが
アホらしく思えてきて、容易に手放せるし
本当に優しくしてくれる人に対して
今まで以上に温かい感謝の気持ちが湧いてくる
正解も不正解もなくてただ、
自分がどんな世界に生きたいか?だよね
クズ相手に自分の命の時間を
明け渡すことの馬鹿らしさ。。
私に子はいないけれど
自分に子供がいたら?と思うと
そんな奴は、めった切りにしたくなる
自分の子にはそう思うのに
自分に対しては思わないの?って。
やっと初めて、自分自身のことを
まるで我が子のように感じた瞬間かも。
心の羅針盤を無視して生きていると、
いつのまにか自己価値が低くなって
自分を大切にするということがどういうことか?
不感症になって、、
自分を大切にしてくれる人が
どういう人なのかすら分からなくなるのは
人生全般においてかなり危険だと思った
半強制的に仕事をやめて、
こういう気づきを沢山与えてくれる
環境にいれることにも感謝です🥲