日々の暮らしを楽しみませんか?
兵庫県相生市のライフオーガナイザー
大西典子です。
昨日久しぶりに友人に会いました。
と言っても、
ちょっと用事があったから
来てくれたので、
玄関先で
マスクして
ソーシャルディスタンス意識して
ちょっとおしゃべり。
彼女も
家にいる時間は時間で
楽しい。
そして
押入れの片づけをしたそうです。
彼女とは以前一緒に片づけをしたことがあるのですが、
「一緒にしてもらってよかったと思ってる。
モノを全部出して片づけしたよ。
全部出すの大切だよね」
と言ってくれました♪
仏教用語で「あきらめる」というのがあります。
今、日本語で「諦める」といえば、自分の願いごとが叶わずそれへの思いを断ちきる、という意味で使われるのが一般だ。しかし、「諦観(たい(てい)かん)」、「諦聴(たい(てい)ちょう)」といった熟語の「つまびらかにみる、聞く」にみられるように、「つまびらかにする」「明らかにする」が、本来の意味である。そして、漢語の「諦」は、梵語のsatya(サトヤ)への訳語であって、真理、道理を意味する。
(大谷大学HP 読むページ 生活の中の仏教用語 より引用)
「明らかにする」
空間を片づける時も
自分の気持ちを片づける時も
「全部出す」
「全部出す」ことで
全体量がわかる
忘れていたこと(モノ)に気がつく
記憶になかったこと(モノ)を思い出す
そして、
「全部出す」ことで
自分にとって必要なものがわかり、
必要でないものがわかり、
掃除もできる。
全部出すことは大切。
仏教用語の
「あきらめる」。
モノも心も明らかにする。
明らかにすることで
気がつくこと、
わかること、
明らかにすることは
自分と向き合う作業。
自分とお話しする作業。
自分に気づく作業。
自分に向き合う時間、
私はとても好きです。
全部出す、をするときは、
自分の体力と相談して
できる量、できる空間から試してみてくださいね。