自分は子どもにどんな背中を見せているんだろう?と考えることが増えました。

 

 

 

日大の問題だけでなく、

様々な問題があって、その度に色々な意見が出てきます。

 

 

それを聞きながら、

非難をされる人はもちろん非難を受け止めないといけないところもあるでしょうが、

それを批判される人の背景を私たちは全て知っているわけでもないのに非難できるのかと考えたりもします。

 

 

かたや

なんで中途半端な言葉でうやむやにしてしまうのだろう?と非難してしまう私もいます。

 

 

そう考えていくうちに

私が子どもの頃、父が自動車同士の接触事故を起こしたことを思い出しました。

 

ぶつかって車から降りて相手にすぐ「すみません!」と、謝った父。

 

 

事故の場合は両者が悪いし、

訴訟社会のアメリカは、謝ってしまったら100%自分の責任だと認めてしまったことになるから、謝らないってのを聞いたことがあるのに、なんで謝るのだろう。

 

と、当時思ったのを覚えています。

 

今思うと、(相手にも悪い部分はあったのだろうけれど)

すぐに謝った父は想いを言葉にした、日本人らしい日本人だったのだなぁと。

すぐに謝罪できる父を知ることができてよかったと。

 

 

 

そんな風に色々なことを考えたり思い出したりしながら、

じゃ、自分はどうなんだろう?

子どもに恥ずべき大人ではないのだろうか?

子どもへのちょっとした言葉はもしかしたら不適切だったりするのではないか?

 

 

何が正解で何が間違いなのかもわからない。

大なり小なり子どもの心を傷つけていることもあるかもしれない。

 

 

考えていくうちにこれを書きながら自分が迷宮に迷い込んでいる感が否めないけれどあせる

 

 

私は

迷うからこそ、

自分の中で常に考えるということ、

そのために様々な考え方を理解するために本を読むこと、

が大切だと思います。

 

 

主観的に考えるだけではなく、別の視点の考えも知ることでさらに考えていく。

子どもに恥ずかしくない完璧な大人になんてなれないけれど(完璧な大人ということ自体が何なのか?と考えてしまうけれど)、

だからこそ、立ち止まって考える。

 

 

みなさんはどう思われますか?

 

 

 

 

 

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