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文明開化によって、制度や習慣が大きく変わった明治時代

西洋文化の影響は香りの文化にも及び、香道が衰退する一方で香水が流行し、樟脳の生産が日本経済の一角を支えるなど、大きな変化をもたらしました

 

1868(明治元)年、明治時代が幕を開けると、西洋文化の波が日本に押し寄せ、文明開化が起こりました

世間には「西洋のものなら、何でも良い」と言う風潮が広がります

 

これによって、日本古来の香りの文化である香道からしばし人々の関心が遠のき、途絶えた流派もありましたが、御家流と志野流は後代に継承されていきました

 

また、香道を世の中に伝え広めようと活動した文化人もいました

茶人の水原翠香は、「茶道と香道」という本を著し、茶道と並べて香道を紹介することで、世の中の人々の香道への興味を高めようとしたのです

 

 

しかしながら、人々は香木や香への関心を完全に失ったわけではありませんでした

1875 (明治8)年、東大寺の大仏殿と東西の回廊を会場にして奈良博覧会が開かれ、正倉院の宝物である名香蘭奢待が展示されました

すると、これまで書物や絵図でしか見ることができなかった蘭奢待を直接見られるとあって、入場者数は80日の開催期間で17万人を超える大盛況となったほどです

 

蘭奢待の香りを楽しむために小片を切り取るには、古来、天皇の許し(勅許)が必要でした

明治以前の歴史でこの勅許を得た人物は、足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、そして天皇に強引に認めさせた織田信長でした

明治時代に再び天皇が政治の表舞台に立つと、1877 (明治10)年、天皇自身が蘭奢侍の小片を切り取り、その香りを鑑賞しました

 

明治天皇がこの時蘭奢待の切り取りを行ったのは、当時、西南戦争を目前にした不穏な政情の中で、天皇親政の国家体制にあることを広く知らしめ、明治政府の権威を誇示するためでもあったと言われています

 

文明開化の影響は女性のファッションにも及び、それに伴って香水が広まります

 

日本に最初に輸入された香水は、フランスのロジェ・ガレ社の「ヘリオトロープ」だと言われています

甘いバニラのような香りがするヘリオトロープは、1908 (明治41)年に発表された夏目漱石の小説「三四郎」にも登場します

作中でこの香水をつけるのは、主人公の恋心を翻弄する才色兼備の女性です

香水は、時代の最先端を行く憧れの女性の象徴でもあったのでしょう

 

1872 (明治5)年には、「桜水」「白薔薇」「オリヂナル香水」などの国産の香水が相次いで発表されました

その後、1904 (明治37)年に起こった日露戦争をきっかけに、洋装の普及はさらに加速し、それに伴って香水もますます広がりました

 

明治時代の重要な香料に、樟脳があります

クスノキの精油の主成分で、香料のほか、かゆみ止めや湿布薬、強心剤、防虫剤などに使われました

江戸時代には薩摩藩の特産品としてヨーロッパや中国へ輸出され、金、銀に次ぐ日本の重要な輸出品となっていたのです

明治時代にはセルロイドを加工しやすくする可塑剤としても使用されたため、世界中で需要が増しました

 

1895 (明治28)年、日清戦争後の下関条約で台湾の統治権を獲得した日本政府は、台湾でクスノキのプランテーションを経営して、いっそう大量の樟脳を得るようになりました

そして20世紀初め、日本は世界最大の樟脳の輸出国となったのです

明治時代、樟脳のは日本経済の一角を支えました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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