こんにちは
Coconfouato 佐藤です
経済成長によって、匂い袋や掛香、香りのついた化粧水など、庶民の生活にも香りの楽しみが増えた江戸時代後期
一方、香道には短い全盛期と衰退が待っていました
経済が成長したことによって、江戸時代前期の終わりごろから庶民の生活が向上するとともに、香りのたしなみも一般に広まっていきました
江戸時代後期には、元々は皇族や公家のものであった匂い袋や掛香(首から下げる匂い袋)が一般にも普及し、香の道具を売る香具店でも販売されていたようです
地方から江戸に来る人向けに書かれた観光案内には、香具や化粧品などを売る店の場所も掲載されていました
江戸時代は、女性の化粧が盛んになった時代でもあります
庶民の間でも化粧への関心が高くなり、流行も次々に生まれました
江戸前期、庶民が愛用した芳香化粧品は、「伽羅の油」など鬢づけ油でしたが、やがて体にも塗れる香油が流行しはじめ、江戸後期には化粧水も誕生します
江戸時代を代表する有名な化粧水に「花の露」があります
「花の露」は当初、化粧油として販売されましたが、その後製造法を変え、江戸後期には油を使わない化粧水として人気を博したとされています
1813 (文化10)年に発行された美容指南本「都風俗化粧伝」には、「花の露」を作る方法として、イバラの花と丁子、樟脳、白檀を、欄引と言う道具を使って蒸留すると書かれているほか、香りが良いことや、洗顔後の顔に塗れば光沢が出て肌をきめ細かくし、顔の腫れ物を癒すと言う効能も紹介されました
江戸後期にはこうした美容指南本が充実し、スキンケアや化粧、流行の髪型、帯の結び方、冠婚葬祭の作法まで、図も交えて詳しく紹介されていました
中でも「都風俗化粧伝」は、1813年の発行時から1923年に関東大震災で版木が消失されるまで、110年間も愛されたロングセラーでした
一方、香道も、江戸時代の中後期にあたる18世紀に入ると、御家流と志野流を中心として作法、方式、体系が確立され、全盛期を迎えました
空華庵忍鎧、大枝流芳といった高名な香人(香道家)が、盛んに執筆活動を行ったのもこの頃です
高木の分類や鑑賞の基本となる「六国五味」や、名香中の名香とされる「六十一種名香」等についても、研究や論文が次々に発表されました
幕府による鎖国政策が続いて海外からの情報が乏しい中、香人たちは中国の書籍をかき集めたり、長崎にいる唐人に話を聞いたりと、苦労して情報集めたといいます
ところが18世紀後半以降、清朝の政情不安により日本と中国の交易はほとんど行われなくなります
香木の輸入量も減少し、香木の価格が高騰して焚く人が極端に減りました
香りがもてなしの1つだった遊里でも、香道具は単なる飾り物として床に置かれることが多くなったといいます
1861年、ついに中国との交易が途絶えると、香木の入手はますます難しくなり、香道は衰退期に向かいます
18世紀中頃に活躍した学者の平賀源内も使った諺に、「沈香も焚かず、屁もひらず」と言うものがあります
これは「美徳もなければ悪行もなく、平々凡々」と言う意味です
沈香と言う高価で特別な存在に対して、憧れとともに羨望や反発も広まっていたために生まれたものと考えられます
1841年から始まった「天保の改革」では、倹約令の施行や娯楽風俗の取り締まりが行われ、茶の湯、琴、三味線、そして香も規制の対象とされました
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