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徳川家康が天下を手中におさめて始まった江戸時代

鎖国政策のもとで幕府が香木の輸入を取り仕切る中、香道では組香が流行し、庶民も線香で香りを楽しむようになりました

 

1603年、徳川家康が政権を取り、江戸時代が幕を開けます

江戸初期には諸外国との貿易が活発に行われ、中国、ポルトガル、オランダ、スペイン、イギリスなどの貿易船が伽羅や沈香を日本に持ち込み、高利益を得ていました

幕府の認可を得た朱印船で、日本人が東南アジアへ直接香木を買い付けに行くことも盛んでした

 

1630年代に鎖国政策が始まると、日本の交易先は中国とオランダに限られましたが、中国に清王朝(1616~1912)が成立すると、もともと沈香の輸入元であった中国からの貿易船が急増し、沈香の供給が中断される事はありませんでした

 

 

鎖国時代、貴重な香木である伽羅の輸入は、特に厳重に幕府の管轄下に置かれました

外国船側にとっては、持ち込んだ伽羅が高い評価を得れば、積み荷を幕府に一括購入してもらえたため、伽羅は特別な看板商品でした

 

伽羅を積んだ船が入港すると、まず、幕府の公式通訳である「通事」と伽羅を品定めする「伽羅目利き」が船に乗り込みます

伽羅のランクを確認する「伽羅改め」でその品質を見定めると、一旦封印し、船から奉行所の土蔵に移した後、伽羅目利きの立ち会いのもとで水洗いする「伽羅洗い」が行われました

洗った伽羅は白洲で干した後、取引の日まで大切に奉行所の土蔵で保管されたのです

取引では、伽羅目利きなど幕府の役人が伽羅の価値を船長に提示し、取引が成立すると船の積み荷を一括購入しました

 

幕府が購入しなかった伽羅は、長崎、江戸、大阪、京都、堺の商人代表が出した評価額をもとに、長崎奉行所が価格を決めました

船長とのあいだで取引が成立すれば積み荷を奉行所が一括購入し、入札にかけて最高値をつけた商人に売り渡しました

 

 

江戸時代の香道では、複数の香りを組み合わせてみんなで鑑賞する「組香」が盛んになりました

組香は文学や一般教養など特定のテーマに沿って行われ、3代将軍徳川家光の頃には200種類以上のもの組香の種類があったと言われています

 

中でも、特に有名なのが「源氏香」です

「若紫」や「夕顔」など、「源氏物語」をイメージして名付けられた香りを集め、そのうち5つを無作為に選んで順に鑑賞し、同じ香りがあったかどうかを当てて楽しむものでした

 

 

江戸初期には檀家制度が浸透した影響から庶民に焚香が認識されて広がり、中国から渡来した線香が庶民の生活に定着します

そして経済の急成長に伴い、貨幣経済が農村にまで浸透すると、日本産の線香も作られるようになりました

 

線香は、時計がわりにも使われました

寺院では線香が一本燃え尽きるまでの時間(約40分)を「一炷(いっしゅ)」と呼び、座禅の時間の単位としました

また遊郭では、客の滞在時間を線香の燃焼本数で数えたとも言われます

 

さらに、庶民の日常会話の中にも「伽羅」が登場するようになりました

「すばらしい、良い」と言う意味で、人を褒めるときに「伽羅男」などと呼んだようです

遊郭では金銀のことを伽羅と呼んだり、お世辞のことを「伽羅を言う」と表現したともいいます

とは言え、伽羅が庶民にとって身近な存在になったわけではなく、高嶺の花であった伽羅への憧れから、名前だけが広まったものと考えられています

 

 

 

 

 

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