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古代エジプトで花開いた香りの文化は、イスラエルへも伝わっていきました

今回は、旧約聖書に書かれた歴史物語の中から古代イスラエルの人々と香りの関わりを取り読み解いていきましょう

 

古代イスラエルとは、紀元前2000年〜前1500年のイスラエル民族の祖アブラハムの時代から、西暦70年前後に古代ローマとのあいだで起きたユダヤ戦争終結までの時代を指します

 

イスラエルの歴史は、イスラエル人が書き残した神話・伝承・神への賛歌などをまとめたユダヤ教の経典である旧約聖書の記述から教えられる部分が多くあります

旧約聖書によれば、アブラハムの曾孫の代にイスラエル人はエジプトに集団移住し、やがてエジプト人の奴隷として働かされるようになりました

後代の研究により、彼らの中にはエジプトの神官が神に捧げる芳香を作る手伝いをし、技術を身に付けた者がいたと考えられています

 

旧約聖書には香料の調合や用途に関する記述もあり「出エジプト記」には、指導者モーセ(紀元前13世紀頃)に伝えられた神の命令により、神に香りを捧げる祭壇をアカシアで作り、朝と夕方に灯明を備える時には乳香(フランキンセンス)を焚いたと記されています

 

没薬(ミルラ)、肉桂(シナモン)、菖蒲、桂皮にオリーブオイルを加えて作る香油で、燭台等の祭壇具や聖職者の体に塗って清めたと言う記述もあり、香油の一般人の使用は禁じられていました

香りは、神に捧げる特別なものだったのです

 

その後は、イスラエルの一般人も香辛料を使って肉に風味をつけたり、ワインに香料を入れるなど料理に活用するほか、寝床や衣類を燻蒸したり、香水も使うようになりました

当初は神のものとして聖職者だけに許されていた香りは、次第に神官や王侯貴族だけでなく一般人にまで広まるとともに、香りの用途も幅広く変化し、祭祀だけではなく生活の潤いのために用いられるようになったのでしょう

 

 

紀元前10世紀、古代イスラエルの最盛期を築いた王とされるソロモンの時代になると、乳香や没薬が薬物としても珍重されるようになり、需要が増していきました

 

旧約聖書の中に収められている「ソロモンの雅歌」と呼ばれる恋愛詩には、肉桂や甘松香(スパイクナード)、沈香を始めとするインド産の香料に関する記述もあり、当時のイスラエルで様々な種類の香料が使われていたことが伺えます

 

古代イスラエルで使われていたこれらの香料は、インドのほか、アラビアからも輸入されていました

当時、アラビア海と地中海を結ぶ全長2735kmの「乳香の道」と呼ばれる交易路があったとみられており、この道を使って、南アラビアの山あいで産出した乳香がラクダによって地中海の港町イスラエルのガザまで運ばれ、取引されていました

 

この乳香の道の地中海に面する北の玄関口を支配したのがソロモン王、その南の玄関口に君臨したのが、当時香料の産出国として栄え、「香料の国」として富と名声を得ていたシバの女王だったと伝えられています

 

ある日、ソロモン王の下へ、シバの女王が来訪します

女王が来訪した目的は、優れた政治家であると同時に人並み外れた知恵の持ち主でもあったソロモン王の知恵を試す事でした

女王が出す問題をたやすく解いたソロモン王に女王はたいそう感服し、持参した宝石や金塊、そして貴重な乳香を献上したと伝えられています

 

2人の出会いが国同士のつながりを強くし、イスラエルにおける香りの文化の浸透にも大きな影響与えたのでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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