古今カフェのたちばなです。
これから古事記を身近に感じてもらえるような情報を探し出し、
このブログで紹介していこうと思います。
今回はご存じの方もいらっしゃると思いますが、
「古事記とサッカーの関係」についてお話します。
日本サッカー協会のシンボルマーク「八咫烏(ヤタガラス)」。
古事記には、
のちに初代の神武天皇になるカムヤマトイワレビコが
都を造る(日本を建国する)ため日向(今の宮崎県)を出発し、
幾多の困難を乗り越えながら
東へ東へ向かう途中に、
熊野地方で高天原から遣わされたヤタガラスの道案内により
ピンチに遭いながらも敵軍を打ち、
大和を平定していく
というエピソードがあります。
古事記では、ヤタガラスは神武天皇の道案内役という
重要な役割を果たしているのですね。
ちなみに、神武天皇がその後、橿原の地にて、
大和朝廷を起こしたのが、紀元前660年2月11日。
建国記念日が2月11日の理由がここにあるのですね!
そして、古事記とサッカーの関係については、
明治時代に日本に初めて近代サッカーを紹介した
「日本近代サッカーの始祖」と呼ばれている中村覚之助が
熊野地方出身であることにちなんで、
ヤタガラスが日本サッカー協会のシンボルマークになったということです。
ヤタガラスが
日本代表選手達を世界の舞台へ導いているのかもしれませんね!
日経ウーマンオンラインにわかり易い記事があったので、URLを載せておきます。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20120709/129301/?P=1&ST=life
ヤタガラスをシンボルマークに決めた人たち、
センスがよくてかっこいいですね!