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★イヴの果実★

死かあるからこそ生と愛は美しい

このブログで書き始めた私小説風の小説を、昨夜書き終えた。


発表は「じゃれこな」にて来週の予定・・・。


ここで書き始めた時は、以前の家庭的なブログの読者さんが猛反発したり、いわゆる「こなつファン」が変な盛り上がり方をしたり…賛否両論だった。


そのせいで、ブログを現在のような閉鎖状態にせざるを得なくなったりもしたが・・・結果的には書き上げて良かった。


私の中にいるもう一人の私を解放できたから。


彼女は、いわゆる「女から嫌われる女」である。


女から嫌われる女というのは、計算などしない。


自分の欲求のままに動く自由人だが、まだ未成年のためにその矛先を自分自身でさえコントロールできずにいる…男にとっては火傷を負うかも知れない避けるべき女でもある。


そんな女には、ろくでもないナンパ野郎か、薄汚い欲望のオヤジか…若き芸術家の玉子しか寄って来ない。


彼女が選んだのはやはり…若き芸術家の玉子だった。


激しい一夏の恋、でも一生の恋を描きたかった。


描き切れたかはわからないが、書き終えた今は、充実感でいっぱいだ。


ここで始めた小説だから、ここで報告したかった。


どのくらいの人達が、今でも私に関心があるのかわからないけれど、以上報告します。


ありがとうございました。

森 小夏











Heaven's in here(詞:Dボウイ)とL'amour en soi (詞:Sゲンズブール)だと、やはり色っぽいのはゲンズブールの方ですね。 直訳ではなく音に乗るのを目指しているので(成功しているかはともかく)かなり削っていますが、それでも雰囲気は残る。
10/17 20:58

どっちも●事の真っ最中の歌なんですけどもw男目線と女目線な訳です。 男目線だと力強い表現になるし(ロケットが火星まで飛ばんでも良いけども www)女目線だとより感覚的な表現になる。 ちなみに私は後者が好み。モロを書かない方が記憶を呼び覚ましてよりエロティックだと思う。
10/17 21:10

Heaven's in hereの詞は、どちらかというとお遊びで、曲の方が、行為やら高まりwを表していますね。 まぁそんなことまで書かなくてもわかるとは思いますがwwwww 昔発売された公式LiveVideoのボウイはエロティックなパフォーマンスをなさってました☆☆☆
10/18 18:48

Oh Father...どれほどこの曲に慰められてきただろうか。。。意訳してみようかな。ゆったりした曲だから日本語もはまりそうだし。
10/18 18:50

土日に心が揺れるのは、どうしようもない。 頭で理解していても、心が追いつかない。 なぜ? なぜ? なぜ? 同じように誰も答えぬ問いを発しているに違いないのに。。。
10/23 1:07



 仏教には「渇愛」という言葉があり、文字通り「もっともっと自分を愛してほしい」と愛に飢えている状態をいうらしい。

 私は、変な親に育てられたので、子供の時から親の側で安心して暮らしていたことがなかった。
 当然、「渇愛」を常に抱えていた。

 で、そのまま成人してしまい、20歳頃にどうしても生きるのが辛くなって、どこかに答えがないものかとあらゆる生命を賛美するもの・・・芸術、そして本だと哲学書や宗教関係の本などまで読みまくった。

 その中に、瀬戸内寂聴さんの本もあった。

 彼女は、若い頃に、夫と子供を捨てて恋人に走り、後にその恋人と別れた後、恋人だった男性がじさ つした経験を持つという・・・大変な半生の人だった。 この元恋人を弔う意味でも尼僧になられたようです。(TVインタヴューより) 

 私は、彼女にとても魅かれた。
 苦労知らずの流行作家の言葉よりも、ずしんと胸に響くものがあった。

 「渇愛」を解決する方法は・・・簡単に言えばなかった。
 仏教というのは、簡単に言えばすべては無に帰り滅却するのだから、小さなことに惑わされず、その大きな流れに身を任せなさいという教えだ。
 さすがは0を発見したインド人の宗教だ。 そしてこれは宇宙の法則とも不思議と合致する…。

 けれど、そんな言葉で納得できる訳もない。

 私はとても不安定だったので、それを見抜いた包容力のある年上の男性が心配して寄ってくることが多かったが、私は同情されるのなんかごめんだった。
 むしろ、そんなことに気付かないから気安く話せる年下とばかり付き合っていた。

 でも、そんなことをしていたって渇愛は解消されない。
 渇愛を抱えているくらいだから、私は親にもほとんど褒められずに育った。
 どんなに頑張って人並み以上の成果があろうと「できて当たり前」としか言われなかった。

 そんな私が褒められたら、一体どうなると思いますか?
 褒められずにきた人間がいきなり褒められると、その言葉が信じられず・・・・・・怖くなるのです。

 恋人に褒められれば褒められるほど、私の心は頑なになり、黙り込んでしまう。
 意味のわからない恋人は「一体どうしたんだ」と心配し、「何でも話して」と親身に申し出る。
 でも私は自分の心の闇を他者に話すのは、どこか負けのような気がして好きではない。
 実際、無理やり喋らされた挙句に、どう対応したらいいのかわからなくなった相手が結果的に去ると、腹を割って話した分、とても辛くなる。

 何も知られずに去られた方がまだましなのだ。

 渇愛を解消する方法は、1つしかない。
 それは・・・自分で自分を褒められるようになること。


 これは、自分を甘やかすことではない。
 考え得る限りの努力を全てやって、それでできた成果は素直に喜んで、自分を褒める。
 こういう自己肯定の作業を積み重ねることで、自分自身が「一番好きな自分」というものに近づくことができる。 もしくは、すこしだけハードルを下げれば、「二番目か三番目に好きな自分」ぐらいにはなれる。

 そうすると、その「好きな自分」を認めてくれた「好きな人」と素直に話せるようにもなる訳です。

 ですが、この渇愛の対象が夫や妻などであった場合、かなり対応は変わってくる。
 それはまた別の機会に書こうと思います。。。