こんにちは、こんばんわ看護師ここなつです。
母が乳がんだった前回からの続きです。
まだの方は先にこちらを見てください。
https://ameblo.jp/coconatsubanana/entry-12673369936.html
乳がんステージ4の多発肝転移と診断されました
夕方暗くなった病院の外来でお医者さんからの話があるのを待っていたのを覚えています。
何となく癌だろうと思っていましたが、父と妹は簡単には受け止められてませんでした。
そしてかなり進行しているため余命宣告もされ、
余命3ヶ月
そう言われ、家族は絶望しました。
そのまま母には伝えることは出来ず余命の話はしませんでした。
母親の入院によりそれから家族の生活は一変しました。
出来る限りのことはしたいというのがあって抗がん剤治療をする事にしました。
その頃私は看護師の知識も全然なくただただ付き添うことしか出来ませんでした。
その頃は家族で生活をなんとかしなくてはという事に必死でした。
もともと父親も料理する方でしたし、私も料理は得意だったので食事には困りませんでした。
洗濯も協力してしていたので何も出来ない家族ではなくてみんな助かりました。
抗がん剤治療をはじめは入院でおこなってました。
肝臓の方の癌は抗がん剤の効果で小さくなっていき、胸の方も進行は抑えられていました。
そのおかげで余命の3ヶ月はすぎ、外来通院での治療に変更になっていきました。
母親もだいぶ元気になりましたが、寝ていることが多く家事は交代で続けました。
副作用は吐き気や脱毛がメインだったように思います。
血液データを見ながら外来治療だったら短期入院での治療を続け、10ヶ月過ぎることが出来ました。
その頃から抗がん剤では抑えきれなくなって来ていて、治療も終了になり対症療法に切り替わったように思います。
入退院を繰り返しながらの生活でした。
毎日家族で仕事終わりに面会に行き消灯まで話をして、消灯したら帰ってスーパーで買い物をして夕食を食べていました。
余命宣告から1年程経った頃、疼痛も増強して疼痛コントロールのため入院して医療用麻薬が開始になっていたと思います。
開始するという記憶があまりないのですがモルヒネが点滴に入っているんだって見たのを覚えてます。
やはり医療用麻薬を使用すると疼痛は軽減出来ますが意識がイマイチはっきりしなくなって来て会話もあまり出来ないようになっていきました。
11月1日の早朝5時ころに病院から電話が来て状態があまり良くないと言われかけつけました。
その日は一日中付き添っていましたが徐々に呼吸状態が悪化していき夕方18時過ぎに息を引き取りました。
最後に付き添うことが出来たのは本当に良かったと思います。
余命宣告から1年という期間をもらって家族も心の準備をしっかりと行えたと思いました。
悲しみは確かにありましたけども、家族にはその後もやることがあって悲しんでる暇もあまりありませんでした。
葬儀を行い私も職場に休暇をもらい忌引きプラス1週間程休んでしまいました。
その後の生活も母が入院中とあまり変わらず家族協力して行い日常に戻っていきました。
ここまでが母親が乳がんだったの経過です。
本日も読んでいただきありがとうございます😊
これからも看護師目線の記事を書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします🤲