ところで私は何を隠そう、無類の美女好きです。
美しい女性を見たら振り返ってまでじーっとみつめてしまうし、
(男性に対しては こんなことないんですけどね)
その美への嫉妬心というのは全くなくて、
むしろ心から崇拝する感じになる。
そこで、フランスと日本の女性を比べてみると・・・
まず最近の日本人女性は、みんな綺麗だと思うの。
「すっごいブス」とか「おばちゃん」とか、そうそう見ない。
全身のあらゆる細部にまで気を配っていて、
「小奇麗」にしている印象。
だからなのかな・・・?
みんな綺麗だとは思うのだけれど、
びっくりするほど美しい女性を、あまり見かけない。
みんながみんな、似ているということもあるのかもしれない。
同じようなファッションに、同じような髪型、メイク・・・
有名人たちもみんな整形をしているからなのか、
とても顔立ちが似通っている。没個性的。
それでも、全くもって、悪いとは思いません!
平均的にみんなが美しいというのは、ひとつの美点じゃないですか。
それに比べてフランスという国。
みなさん、フランス人女性って聞くと、
ソフィ・マルソーやエマニュエル・べアールのような
美しい女性を想像しますよね?
はい。私もそう思っていました。
あちらで暮らす前までは・・・
しかし、その実態はというと。
まず声を大にしていいたいのは
フランス人は全くもって「おしゃれ」ではなく、清潔ですらなく。
彼らはファッションにほとんどといっていいくらい関心がない。
日本人のようにダイエットにも熱心ではないので、
「ものすごいデブ」があちらこちらに生息している。
何を言いたいかというと、つまり
美しいひとと、そうではないひとの差が大変激しいということ。
こきたいないひと、残念な顔立ちのひと、みるもたえないデブ・・・
(ちょっと口調がきつかったかな。差を表現したかったもので)
そんな中に数少なく存在している美女がもうっ!
この世のものとは思えないほど、お美しいの。
それが、フランスという国。
さて、私の好みの女性はというと、
femme fatale (ファム・ファタル)と呼ばれる人種。
これは、ただ容姿が美しいだけではなりえない稀有な存在で、
そこに品性や知性が兼ね備わってこそ、
この名にふさわしい女性になり得る。
このfemme fataleがいかなる女性か・・・
fatalとは、日本語で「宿命的・運命的」と訳されるのだけれど、
より正確にフランス語のニュアンスを付け加えるならば、
「致命的・命取りの」という意味が付される。
有名フランス文学者 鹿島茂氏の著作によると
「恋心を感じた男性を破滅させるために、
運命が送り届けてきたかのような魅力をもつ女」
と、フランスでは解釈されているという。
よって、フランスにおいて「fatalな女性」というのは
最上級の女性に対する褒め言葉になる。
ちなみにフランスだけでなくヨーロッパにおいて
この言葉の形容詞的な存在としてあがめられている女性こそ、
モニカ・ヴェルッチである。
実際、amourの国フランス(恋愛が最大の関心事)には、
このようなfemme fataleが昔から存在してきた。
その存在はフランス文学の歴史においても、
長きに渡って描き続けられている。
ちなみに私の研究対象である詩人Paul Eluardも
その初期恋愛詩において、女性のイマージュを生み出しており、
それはまさにfemme fataleと呼ぶにふさわしいものだ。
と、長くなってしまったのだけれど
これから私の大好きなファタルなフランス人女性を紹介していきまーす。