主人が「ちょっとおかしいなぁ」と思ったのは、交際当時からでした。
2年前、専門医から発達障害と診断され、自分が夫に求めることを諦めようと思いはじめました。
それまではエネルギッシュに「40代になったら変わるだろう」とか「50代になれば変わるんじゃない?」などと勝手に思っていたのだけど、
これがそもそも相手に求める期待だったことにある時気づきました。
発達障害の夫は人と同じように成長しないということが分かりました。
ここまでたどり着くのに10年かかりました。
専門家がなぜ発達検査をするのか?それは検査をしてそれぞれの特性について知ることが生きづらさから少しでも改善する策として必要とされているからでしょう。
このクリニックでは発達障害外来があるのですが、特に症状のない主人には薬は処方されずに夫婦でカウンセリングを受けることを提案されました。
そしてカウンセリングに通うことになったのですが、
元々主人が発達障害の検査を受けることになったきっかけは、里親認定を受け、幼児を紹介されたマッチング期間のことでした。
紹介されたAちゃんが我が家に外泊をするようになり、子どもと長時間接っすることになった主人が頭痛・嘔吐・めまいを訴えるようになりました。
※その後、耳鼻科でメニエール病と診断されることに。
早い段階で、児相の里親担当員に主人に子どもと交流すると身体的不調が現れることで発達障害と診断されたことを打ち明けました。
児相の担当員は理解してくれました。
子どもの発達障害を観ている担当員として、また里親の中にも大人の発達障害を抱えている方もいらっしゃるとのことで、「主人を観た時からなんとなく理解していた」と言われました。
主人の発達障害で、パートナーとして夫に求めることを諦めること、夫婦として諦める問題が多くなっていきました。
一番の悩みは、夫に「共感」を求めることができないということ。
「共感」とは、例えば私が何かを話した時、
「そうだねぇ!」とか「いいね!」など明るい同意というか、夫婦として同じ気持ちだという証かなぁ。
出会ったころから、何かにつけて「反論」をする夫。
それに腹立たしくて、「あなたは”そうだね~!”って言ったことがないよね?」と言ったことがああります。
主人は「自分の周りでは当たり前。同意するより意見を言うことで成立してる」なんて小難しいことを正々と述べました。
発達障害の夫の妻は、面倒見が良い人が多いと言います。
また共依存の人が多いということも分かりました。
一人じゃ何もできない人や世話が焼ける人につい目が行ってしまうのかも。
今まで交際した人は年下男性だったりで、尊敬より苦手なことが多いタイプの人が多かったように感じます。
前の夫と離婚したのも、仕事運がなかったり、ギャンブル依存症だったりと碌な夫を選んでいない自分が実はアダルトチルドレンだった...ということも分かりました。
今の主人は女性と交際したこともなく、変わった人だなぁと思っていたけれど、安定した企業に就いていたため、前の夫のように借金で苦労することもないだろうと。
再婚にいたるまで悩みましたが最終的に結論を出したのは、真面目で安定した企業に勤めているからということ。
年下だから私が上手くリードして行けば、主人は成長するだろうと勝手に思い込んでいた...。こんなところが発達障害のパートナーの世話好きと言われる所以なのか母性本能の強さなのかエネルギッシュなところなのかな。
でも、主人には優しさがある!
子どもや動物好きなところ。これが私と主人の共通な部分でした。
これがなければ今まで一緒にいなかったかも。
先日、カサンドラ症候群の自助グループに参加しました。
自助会への参加は初めてなのでかなり緊張したのですが、行ってみるとみなさんと共感できることがたくさんありました。
日ごろ夫に共感してもらえず、身近な人には理解してもらえないことで相当辛い思いをしていたに違いない。
参加者の方たちはみな元気で明るく見えた。話し始めるうちに止めどなく流れる発達障害の夫のへの不満・愚痴...
年代も環境も違う妻たち。専門家に夫の発達障害の診断を受けている方は少なかったようです。夫の発達障害を理解されない苦しみから、一人でネットで情報検索し、夫はアスペルガーだと確信に満ちた妻たちがほとんどでした。
私の主人のタイプは、
・ADHD
・自閉症
この2つの特性が強いと示唆されIQは平均以上に高かった。
「言語能力が非常に優れているため周囲からは苦手な能力についても同レベルを求められる可能性があり、パートナー(私)の特性では負荷がかかる内容を任されること、期待されることが起こるのではないかと推察される...」
と精神科医に分析されたカルテを観ました。
これで解るように、発達障害の当事者も、パートナーも「個性」や「性格」「特徴」ではなく、「特性」という言葉を用いられるのです。
医師から見れば、発達障害を完治させる方法などはなく当事者が感じる生きづらさ、または周囲の人やパートナーが感じる生きづらさ、
これらを回避させるためにカウンセリングを勧めるのです。
夫婦がお互いに負担を掛けずにできるだけ前向きに生活するためのカウンセリングなのですが、
カウンセリングというのは、自分の言いたいことを話す・聞いてもらう・吐き出すという表現が相応しいでしょうか。
ですが発達障害の当事者は、自分は特に困ってはいないけど妻が困っているようだ...というなんとなく感じる程度の脳力で、心理士に自分の思いを1時間も話し続けることが苦手なんです。だから間が持たない...
私自身も心理学をある程度学び、キャリアカウンセラーの資格を取り、進路や転職関係のカウンセリングをしていたことがありますが、本人が悩んでいることを聴くのがカウンセラーの仕事。
でも、当時、主人の発達障害の検査を受けたのも、夫婦でカウンセリングを受けようとしたきっかけも、長期委託の里親になるためにはどうしたらよいのか?についてのアドバイスを求めていたにすぎず、
カウンセリングとは、自分の思いをひたすら掃き出し、自分自身でその策を探ってくことであり、カウンセラーにアドバイスをしてもらうことではないことが分かりました。
そういった意味で、夫は何も話さず、里親のことも置いておいて...
と言われ、じゃぁいったい私は何を話せばいいの?というところから一度カウンセリングを止めました。
その後、Aちゃん委託を断念することになり私も主人も傷つきました。発達障害の夫にも感情があるんです。
しばらくは里親の事から頭を離し、私の方から話題にすることもなくなりました。
主人の発達障害だけが原因で長期委託を諦めたわけじゃないですから。
色んな事を考えました。
私たちに身近にサポートしてくれる身内や知人がいないこと。
私自身も更年期で体調がすぐれないこと...等々。
決して主人のせいじゃない。
里親のことを一旦頭から離し、元のように主人の趣味に合わす生活をはじめました。
主人の好きなコントライブや映画鑑賞...etc
この10年、主人に私が合わせることで生活が成り立っていました。
けれど、それも苦痛じゃなく、私には楽しいと思える柔軟性があるのか、いや確かに楽しいと感じました。
それに愛犬のハナとテファを子どもとして育てようと誓ったのも二人の共通の意思だったはず。
考えてみると、発達障害の主人は苦手なことも多く私が苦労しているのは事実だけれど、
主人もある程度学習してくれているのかも?
私が更年期症状でしんどい時は、掃除もやってくれるし料理を作るのがしんどい時は何か買ってきてくれる。ADSの特性が強い主人は、受け身でしかいられず人を引っ張っていく能力がまったくない。
それでも私が10年かけて学んだり諦めたりしたことがあったように、主人なりに学んだことや諦めたこともあったはず。
それを人に上手く発信することができないんだろうなぁと。
発達障害と思えば発達障害だけど、発達障害だってそれぞれに特性が異なる。
人と違うのが個性だと思えば個性なのよね。
個性の中には、どんなに努力してもできないことも含まれるんだよね。
それは私にとっても同じことかもしれない。
私が「面倒見のよい」ことを特に悪いと思っていないし、治そうと思ってもできないだろうなぁと感じるように、主人なりに努力してきたけれどできないことがあるんだろうと思う。
それを「努力が足りないから」と思わずに、
相手の能力やできることに目を向け、互いに労わりあうことが大事なのかもしれない。
カサンドラ症候群の自助会への参加はとても有意義な時間を過ごすことができました。
参加して分かったことは、
女性がストレスを発散するのにおしゃべりをするのは、
誰かに共感してほしいと求めているからなのだろうと思う。
自助会に参加した妻たちの夫が「発達障害」であっても、そうでなくても、
妻は夫に不満を持ち誰かに聞いてもらうことで発散できる生き物なのかもしれない。
男性の方が女性より4倍もアスペルガーが多いというのも女性の脳と男性の脳の違いが一理あるかもしれない。
女性と男性ではアスペルガーの特性の違いがあるのも、女性脳の違いと男性脳の違いからくることなのかもしれない。
妻のアスペルガーで悩む夫の話を聴いたことがあるけれど、
これもどちらかといえば、女性脳に近い男性が抱える問題なのかもしれない。
夫が発達障害!?今に始まったことじゃないはず。
「諦める」ってことは自分の見方を変えることからはじまる
求めることを諦める...とある方に指導されたけど、
それってある意味エネルギーを失くすことになると思っていました。
人生そのものを諦めること?と思っていた。
でも、
夫の発達障害でもすべてを諦めるという意味に解釈することは間違っていると思います。
発達障害の夫との生活の中で、発達障害なりに学習することはできるはず。
それを期待せず、パートナーとして長い目で見守り、他の事に目を向けて楽しむこと。
そして、束縛しない発達障害(※ADSの場合)の特性をありがたいと見方を変え、
夫だけに目を向けないこと。
自分の趣味や楽しみを持ち、なるべく離婚せずに自立すること。
そして夫婦共通の目標や楽しみも、柔軟性のある発達障害の妻が歩み寄り、諦めるんじゃなくできる範囲に妥協しながら目標を持ち続けることが大切なのかもしれない。
発達障害の夫を持った妻の方たち。
発達障害の夫の見方を変えてみませんか?