バラエティで活躍中の遠野なぎこさん。
スピード離婚で渦中の人になっていますね。
先日のブログで「TV番組の収録中にイジメともいえるような個人攻撃を受けた・・・」、と書かれていました。
「ある程度自分を殺すことは出来る、そうすることが社会人としてのルール。
でも、今回だけは人の心に土足で踏みにじるような発言が許せなかった、、、」と。
世間では、売名とかメンヘラとか騒がれていますが、いつも拝見して思うのは彼女はアダルトチルドレンなのではないでしょうか。
自叙伝は読んではいないのですが、壮絶な幼児期を過ごしているようです。
数年前にTVに復帰してき頃は、7股交際や過去の恋愛経験などを暴露して、不思議ちゃんのイメージがありましたが、
今一生懸命に活動している姿を見て、エールを贈りたいと思っています![]()
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ブログやTVで自分の体験を語るのは、「生きずらさを感じるみんなの居場所を作るため・・・私ができること」と訴えています。
母親のことを毒親と告白しながらも、嫌いと・・・とは言わない・言えない、のは今もなお、母親の愛情を求め続けているのかなと思えるのです。
ACは幼少期に機能不全家庭で育った子どもが、大人になってから自覚するもので、病気ではないため薬では治りません。
ただ、それが切欠で鬱・摂食障害・社会適応障害などを起こし、薬で治療が必要なこともあります。
たぶん、、、ごく普通の家庭で育った方には、この気持ちを理解することは不可能かもしれません。
そう、「生きずらさ」という表現が一番ふさわしいのかもしれません。
身近な人に求めるものが多く、理想の家庭像を描くあまり、夫となる人や子どもに執着してしまう傾向があります。
自分は幸福な家庭を作りたい、と執着心が強くなるのです。
だからこそ、結婚・離婚を繰り返す人も多い・・・。
ごく一般の家庭で育った人は、ある一定の年齢で親離れをしますが、ACの人はいつまでも満たされない想いがあり、毒親でもいつか自分に愛情を注いでくれる、、、と期待してしまうのです。
毒親の方は、自分は自分なりに愛情を持って育ててきた、、、という思いがあるため、いくら待っても相手は変わりません。
私自身が、そうだと自覚しています。
アラフォー、アラフィフになるうちに、自分の中の(IC)インナーチャイルドを育ててきましたが、まだ、叫ぶ時があります。
私は2歳の頃の記憶があります。
それはそれは、とても鮮明に覚えています。
友達や主人と、子ども時代の話が出る時がありますね。
相手は決まって幼児期の記憶はかすかに残っているかな~、、、と言います。
幼児期の体験が鮮明に記憶の中に残るのは、子ども心にもそれだけインパクトが大きい体験だったということになるのです。
私は一見普通に暮らしています。
前の離婚の時、八方塞でパニック障害になり、心療内科で薬物治療をはじめ、徐々に減薬をして完全に失くすまで7年掛かりました。
どんなに辛くても、母は私に優しい言葉をかけてはくれませんでした。
しいて言えば、「がんばってね」でしょうか。
私がどんなに手を差し伸べても、いつも突き放されその手を掴んでくれたことは一度もありませんでした。
今は心療内科の薬も飲まない状況ですが、私の中のICが叫ぶ時があるんです。
私は残念ながら母親にはなれませんでした。
40代になって不妊治療に挑戦したのも、私が描く’幸せな家庭像’が強いあまりだったのでしょう。
子どもに対する執着心がとても強かった。
満たされない想いを、自分が母親となり子どもに愛情を注ぎたい、、、どんなに思ったことでしょう。
今、、、私の母は80歳を過ぎています。
だんだんと電話の会話も噛み合わなくなってきました。
「もういつお迎えが来てもイイ・・・」なんて弱気なことを言う母が憎らしく思います。
母は母なりに不器用ながらも私たち姉妹を育ててきた、という思いがあるのです。
姉にとっても同じ環境で育ってきました。
姉は20代前半に結婚し、翌年長女を出産。昨年、初孫が誕生。
姉は大勢の家族に恵まれ、助け合いながら生活しています。
でも、いつも満たされない’何か’を抱えているようでで、私から見ると、とても不器用に感じます。
誰が幸せで、誰が羨ましいという気持ちは卒業しました。
私のひとつの希望は、
母が元気なうちに、一度でいいから「がんばってね」ではなく、「がんばってるね!」と言われたい。
それだけでいいんです。
「私は言葉がヘタだから・・・」
「でも、言えるようにがんばってみるわ」
高齢の母がそう言います。
私は自分の中のICを育てるもう一人の母親です。
自分を育てる母となり、母の気持ちを理解しようと思います。
母親の気持ちを理解することで、
人に求めすぎない、、、人を理解する。
これが、私が辿りついたAC克服への第一歩でしょうか![]()
