さて、今回はもう他界しているとはいえ、私の父の恥部というか古傷に触れて行こうと思う。
父の親族がこのブログを見るとクレームが来るかもしれないが、まあ身内がやった事なのだから、民事不介入だろう。

俺の父が死んだ後に母が暴露したのだが、浮気をしていた事が何度かあったようだ。
それを知ってから、子供の時を思い返すと「ああ・・・あれは浮気だったんだな・・・」と理解できる事がある。

 


俺が高校1年生の時、年子である弟はもちろん中学3年生だった。
弟は後に発覚するのだが、筋ジストロフィーという障害を持っていた。
しかし、この時は発覚していなかったので、身体が小さくて弱い中学生と言うだけでしか理解されてなかった。
なので、どちらかと言うと虐められっ子。

学校という社会はさ、時として残酷な訳ですよ。
本人にしか分からない辛さや悩みが各個人にある訳ですよ。

だから全員弱い。
弱いから仲間を作る。
ヤンキーの集団だったり、アニメ同好会の集団だったり、イケイケで遊びまくってる女子の集団だったりとね。
弟にもこの時、弱い者通しで、よく一緒にいる事が多い友人がいた。
俺は、こいつがどうも好きになれなかった。
なんていうかねえ・・・度胸もないけどヤンキーには憧れているパシリみたいな奴。
しょっちゅう上級生に金を巻き上げられてたよ。
万引きでつかまったりね。
その金集めに弟にも助けてもらおうとしてた事があったから、弟共々ボコボコにぶん殴った事がある。
あ!勘違いしないで!俺ヤンキーじゃないからね。

 


いよいよ弟が中学を卒業する時に、この弟の友人の母親が親同士は知り合いでもないのに、うちの父に相談を持ち掛けてきた。
こいつは母子家庭で母一人子一人だった。
相談内容は、私の子供はおそらく高校には行けないと思います。学力的にも、そして経済的にも。
ですが、中卒とは言えしっかりした職業についてもらいたいので、なんとか自衛隊に入隊は出来ないでしょうか?と言った事だった。
ここで父はまた良いカッコを見せようとする・・・

もう他界したからさ、暴露するけどなんかコネを使ったみたいよ!
父の援助によりこの友人は晴れて自衛官となる。

 


といってもね、数年後に結局こいつ自衛官を辞めるのよ。
相手は無事だったが、ひき逃げ事件を起こしてね。
結局は臆病な人間だったって事だ。

 

この弟の友人が自衛官になれた事を母親は喜んでいた。
ただ、この関係だけじゃなかったんだねえ・・・
その後、数年間関係を持っていたみたい。

 


俺が高校2年か3年の時なんだけど、深夜に無言電話が来ることがしょっちゅうあった。
深夜になっても起きてたのは家族で俺だけだったからさ、結局は俺が電話に出る訳ですよ。
そしたら、無言でしょ。
何度もあったから、ある時に電話を切らないでずーっとこっちも無言で待ってみようとした訳。
そしたら、すっごい小さい女の声で「あきらさんいますか・・・」って喋ってきた事があったんよ。
「え?」って聞き返したら「あきらさんいますか・・・」って言うからさ、「ちょっと待ってください!」ってキレ気味に言って、寝室で母と一緒に寝ている父の所に行った。
そして寝ている父を揺すりながら「父さん!電話なんだけど!なんか女の人から電話なんだけど!」
とかなり強く揺すった。

 


普段、父は自衛隊では非常呼集って言うのがあってね、いつ何時でも自衛隊から電話が来て呼び出しが来たら答えなくてならないのさ。
だからこんな時はスクっと起きてくる。
普段ならね。
ただ、この時は全然起きなかった。
「父さん!!とうさーん!!」
全然起きない。
そのうちに隣で寝ている母が「ほら、お父さん、啓が電話だって言ってるよ・・・」って言うんだけど、いっこうに起きない。
15分位やってたかな、ダメだなこれはと思い電話にもう一度出てみると電話は切れてた。
多分あれは浮気相手。
起きなかったんじゃない。
起きれなかったのだ!
そうするしかなかったのだ!!
そう思えるとニヤっとしてしまう。
彼にとってはこの上ない修羅場だったんだろう。

 


その後この浮気はバレることになる。
おそらく夫婦で言い合いになったのだろう。
今思うと母の精神状態が良くなかった時があったもんね。

俺達、子供が寝ている深夜3時くらいに茶の間から怒鳴り声が聞こえた。
全員で何事かと茶の間に行ってみた。
すると床に頬を抑えたまま座っている母と、鼻血を出したまま興奮気味に立っている父。
床にはバケツと濡れた絨毯。
これは後にどういう事だったのか発覚するのだが、浮気を問い詰められ口論になった。
父はめんどくさくなり寝室で母と一緒に寝ずに茶の間に毛布を敷いて寝たのだ。
しかし、母は布団に入るも頭に血が上っている。

 

 

母は起きだし、バケツに水を汲み床で寝ている父に向って水をぶちまけ、ついでにバケツを顔面に投げつけたのだ(笑)
それに怒った父が母にビンタを食らわしたという事だ。
俺達は「なんなんだこれは」と立ち尽くした。
続けて父が「俺にどうしろって言うんだ!!」てな事を言いながら、座る母の服を引っ張り起こそうとしたので、さすがに兄が「父さん!!やめて!!!」と間に入った。

弟はただただ立ち尽くして見ていた。

そして俺はと言うと・・・
多分これって兄弟の真ん中っていう人種にしか分からない感覚かもしれないけど・・・
「やべぇ・・・あいつ鼻血出してる・・・マジウケる・・・」である。

 


とは言うものの母は座り込んだままだったので、母の元に行き「大丈夫か?」と聞いたが返事はない。
「何があったか知らんけどさ、寝てる人間に水ぶちまけて物を投げつけるってーのもどうかと思うよ。」と言ったら、「そ!お母さんが全部悪いの!ハイ!お母さんが全部悪いんだ!」と言い出す。
めんどくせえな・・・B型・・・

 


その日の朝にはバツ悪そうに父と母は俺達に謝ってきたけどね。

そして、俺が札幌に出てきた2年後くらいの20歳の時、母からの電話があり「啓かい・・・お父さんね・・・浮気してたんだよ・・・お母さんさ・・・家出てくからさ・・・あんたのとこ行ってもいいかい・・・」と泣きながら言ってきた。
えええええええ!!と思ったが、弱ってる人間にムチ打つのも何なので、「ん~まあ分かったよ。」と言った。
1週間くらいすると母は荷物一つで家を出てきた。
母は俺に大金の入った通帳を見せてきた。
「お母さんね!保険とかやりくりして、お父さんにずーっと内緒にしてヘソクリ貯めてたんだから!!」と鼻息を荒くしていた。
俺の部屋はこれから二人で暮らすには狭かったので3LDKのマンションに引っ越すことになり、家賃は半分ずつ出すことになった。
4か月くらい過ごしたかな・・・
突然母は「お母さんね、お父さんと仲直りしたから帰るわ」と言い出した。
「はあ!?ここの家賃どうすんだよ!!」と言ったら、「あんた彼女いるんだから、彼女呼んで一緒に住んだら。」と言う。

 


勝手だな!!B型!!
彼女は二つ返事で一緒に住んでくれたから良かったけど・・・