あった~ !!

http://home.k09.itscom.net/bukabuka/zassou/z-syoukai.htm


昔を思い出しています。


看護学校の時代、約40年前です。


岩手の田舎から上京、埼玉の国立病院の学校に通いました。


勉強だけの日々、5月の連休は暇です。


アルバイトを探しに行って、早々にアルバイト開始です。


そんな中、朝日新聞のコラムの欄だったかしら?


「手伝ってください」

「車椅子で街に出る運動をしています。あなたの力を貸してください」


ビビッっときて、即参加です。


福祉大学の学生さんというリーダーの方が、懇切丁寧に、福祉の問題を教えてくれました。

感動です!!


ボランティア活動の始まりです。


ボランティアって何??

「志願兵士って訳すんだよ」

「自らすすんですることだよ」と・・・


そして、始まりました。


家の中に閉じこもっていた、障害のあるお子さん達を、電車などの公共の物を使って、代々木の歩行者天国に行ったのでした。


途中の段差、改札口は通れない、ホームまでの長い階段・・・などなど

車椅子や障害のある人には、とても一人での外出は皆無でした。


私たちは、障害のある方にも、優しい街作りを訴えてきました。


そんな中で、私たちに向けられる世間の目は冷たかったです。

「偽善者」「じゃまだ」と罵声を浴びることもありました。

「自己満足だろう」と。


悩みました。


「そうよ、自己満足よ」と開き直り、新たに大田区にボランティアグループを作ったのです。


今までのボランティア仲間に、こうゆう想いで、ボランティアグループを立ち上げたいと、はがきを数枚書き送りました。


賛同してくれた人、私の後輩、もう一人の立ち上げ者の後輩、そして、バックアップしてくれた病気のお子さんのいる家族の方、城南養護学校の子供たちなど・・・


立ち上げたときの私のだした条件は・・・


「障害のある人もない人も、お年寄りも子供も、みんな立場は同じ。やってあげる人、やってもらう人、すべてなし。それぞて持っている力で、お互い助け会いましょう。」

「グループへの参加には義務はなし。来れるときに来て、来れないときはこない。

そのことについては非難せず。自分の生活を大事にしてこそ、ボランティアだ」


と唱え、若者の暴走は、お年寄りにブレーキをかけてもらい、小さいお子さんにはお子さんとしての動きをしてもらい、大きな家族のようなグループになりました。


参加のお子さんの家族の方が、


雑草グループ」と名づけてくれました。


踏まれても踏まれても立ち上がる雑草のように生きましょう」と。



立ち上げた私は、9年後に関東を離れています。


後輩たちには、「無理して継続することはないよ」と言い残して・・・



その後、離れた私は、自分の生活で、めいっぱいになり、上京できませんでした。



気になっていたけれど、ご無沙汰してしまいました。



それが、3年ほど前に、グループを解散しました、と連絡がありました。


ビックリです。

30年以上も、続けていたんですね。

始めた頃には生まれていなかった若者が、つないでいました。


もう感謝で、涙ボロボロです。


気になって、大田区 雑草グループで検索をしたら、出てきました。

http://home.k09.itscom.net/bukabuka/zassou/z-syoukai.htm

それも、目的が過去のまま・・・

うれしいですね(涙


ケアマネ心美のつぶやき

真ん中のひとだけは、当時17歳の若者でした。

後は、分かりません。


その当時が、懐かしい。

一番燃えていた時でしたね。


ボランティアで生活したいと、真剣に考えたものでした。