先日、ケアマネの研修会で、「看取りについて」で話し合いました。
告知していない利用者さんから、「私癌でない?」と聞かれることがあり、
どうしていいかわからない・・・と、悩んでいるケアマネさんがいました。
数年、ケアマネをすると、一度や二度はこんな事例にぶつかります。
病名を知っているケアマネは、なんて答えたらいいか、とっさに判断できず、
ごまかすのに必死になると察しられます。
病状の進行がはやかったり、悩んで答えを出せないうちに、利用者さんが亡くなったりして、自分の対応が、ほんとによかったのかどうか、後悔の念に悩まされる人もいるでしょう。
私の考えとしては(いろんな考え方があるので、あくまで参考程度に)、
本人は病名を察しています。
隠している家族には、聞きません。
家族が、なぜ隠しているのかわかっているからです。
聞いて家族を困らせるようなことは、賢い人はしません。
でも、確認がしたいのです。
真実をはっきり言われるのは怖いけれど、確認をしたいのです。
ケアマネさんが真実を知っているのはわかります。
ケアマネさんの態度をみれば、大概想像できます。
ケアマネさんに確認したくなります。
「私、癌じゃないかしら?」
だれも、「はい」とは答えないでしょう。家族以上の関係があれば別ですが・・・
でも、ケアマネさんのしどろもどろした答えと、表情で完全に確認ができます。
「まな板の鯉」は、ケアマネさんです。
裁かれています。
なんと答えても、上手に答えても、結果は同じです。
ケアマネさんは、上手に裁かれてください。
自分よりも社会的に成熟している大人で、切羽詰った状況に追い込まれている人に勝つことはできません。
答えはだせないけれど、誰にもいえない心のうちを、聴くことはできますよ・・・と。
そんな姿勢で、死を待つ人たちと付き合ってください。
家族には心配かけたくないから、家族には本音をぶつけません。
ケアマネさんが一番本音を聴いてあげられる唯一の人です。
宗教者にならなくて結構です。
しどろもどろしている姿でも、全然結構です。
一生懸命に聴いてくれる姿は、死を待つ利用者さんには、おおきな助けになっています。
ガン末期のケアプランを引き受けたときは、がんばらず、よりそう姿勢で、一緒に悩みましょう。
誰もが、いずれ来る死です。
自分の人生観を教えてくれる、大事な人たちです。
答えは、自分にしかないのですから。