以前より減ったものの、もやもやがある……と、よく書いていたと思います。
ふと今朝気づいたのですが、これって「現実見ているよ」のサインなのかもな、と。
それが合っているかはわからないし、答え合わせをする必要もないと思ってます。
私は今年、絶対に自分を幸せにすると決めました。
で、徹底的な実践をやっているのですが、どうもまだまだ現実を見張っている自分に気づいたんです。
「まあ結果は気にならないよ。
でもなんか起きないかな?(チラッ)」みたいなw
内面(真実)では既にあるのだから、不足感や不満が出てくることはない、というのが基本。
なのにモヤモヤが出てくるのは不足を感じているからでは?
それは一体なぜ?
現実を見て「まだ起きてない」と判断しているからでは?
……と、思ったんですね。
うーん、まだまだ現実様の下僕になっていたみたいです。
でもそこで「現実見てるから自分はダメだ!」とは思いませんでした。
「あ、現実でジャッジしてるな。なった振りになってたな」と思っただけです。
もちろんエゴは出ました。
「お前がやってたこと無駄だったぞ!」みたいなね。
「なった振りでいい気分になってたんだな!」とか。
でも別にいいんです。そんな自分も完璧だし、そこに気づけただけでその自分じゃなくなってるので。
(あといい気分だったのはなった振りだろうがそうでなかろうが本当だしいいことだからいいやwって感じです)
やっててほんと面倒だなと思いますw
さっさと認識かえたーい!とも思います
でも、認識を変えるのは大変ってみんな言ってるし…というのはエゴです。
なので私は完璧に「認識が変わった私」として生きます。
文章が支離滅裂すぎて自分で見てもヤバい人みたいになってますねw
ちょっと今回は脳内垂れ流しみたいな内容になってしまいました…が、何か参考になれば幸いです。
急に自分が可愛くなりました。
電車乗ってたら、急に自分が可愛くなりました。
何いってんの?って感じですが、ストレートに書くとこうでしかないんですw
「色々悩んで頑張ってるわたし、可愛いねー!」
「理解しようとしてるわたし、可愛いねー!」みたいな感じで。
わたしを赤ちゃんのように見守るもう1人の私がそう言ってます。
で、この子のためにはなんでもしてあげたい、叶えてあげたいなあ…と自然に感じました。
この「見守る私」は神様みたいな存在で、矮小(と言っていいのかわかんないけど)で赤ちゃんみたいな私に対して愛しいなあと思ってます。
で、いっぱいポイポイプレゼントを投げているんですけど、赤ちゃんみたいな私はそれに気付かずにハイハイしてまわってる、という映像が頭の中に出てきて、笑ったと同時に「そういうことなんだなあ」と妙に納得しちゃいました。
愛を受け取ってあげないと、見守る私が可哀想だな……と感じたので、ありがとう!と見守る私に向かってお礼を言っておこうと思います。
私は「受け取る」ことに恐怖をくっつけている節があることはずっと自覚していたんですが(例えば有名になったら悪口を言われるかも…みたいなやつですね)
そこもまるっと含めて「どんとこいや!」と意識することにしました。
今日面白かったこと。
バスに乗っていたら、絶対に嫌いなタイプの人が乗ってました。
「うわー嫌や!こういう人嫌い!!」って気持ちが出てきたので、素直に「あー私この人嫌いって思ってるなー」と感じきり。
で、「この人はよ私の世界から消えないかな」って願いましたw
すると、次のバス停で降りて行き、私の(目に見える)世界からはいなくなりました。
めちゃくちゃシンプルな出来事でしたが、それゆえに面白いというか、ああ、こういうことなんだとも思いました。