「嘘！入江先生が！？」
昨日夜勤だった入江くんの顔でも拝んでいこうかななんてたくらんで、少し早めに病院に来た私は、不意に入江くんの噂話を聞いた。
別に盗み聞きする予定ではなかったのよ。
「それ本当みたいよ！車に女性…と2人で乗ってるの私も見たよ！」
「えーー。入江先生ってそういうの興味ないかと思ってた！」
「琴子妊娠したからじゃない？やっぱり入江先生も男なのよ！」
ー何？なんの話をしているの？入江くんが女性と二人きりで車に？
同僚がナースステーションで楽しそうに話している。
いつもなら会話に飛び込んでいくけれど、思考が停止して動けなかった。
ーつまり？入江くんが…あの入江くんが…浮気！？そんなの、嘘だよ！！
目の前が真っ暗になった。
最近の入江くんは優しい。
妊娠がわかってからだけどびっくりするぐらい優しい。
真里奈は浮気してんじゃないの、と冗談言っていた。
入江くんに限ってそんなことあるわけないじゃないって言い返してやった。
研修医が終わって勤務も調整できるようになったのか、悪阻が酷い時期は早く帰って来てくれていた。
「家で出来ることが多いから良いんだよ」
口では素っ気ないけど、笑顔が柔らかくい。
なんだか無性に愛されてるんだなぁって実感が湧いてくる。
本当に幸せな日々だった。
異変を感じはじめたのは、悪阻もおさまり安定期に入った頃だった。
異変といっても相変わらず入江くんは優しい。
けれど以前に比べて帰って来る時間が遅くなっていたのだ。
医者という職業柄、勤務時間外に呼び出しはしょっちゅうだし、急変で帰れなくなることだってよくある。
気にすることではないと思っていたのだけれど。
『やっぱり入江先生も男なのよ！』
いつまでも繰り返される。
「入江くん、私に隠していることない？」
ピンクとレースが際立つ、いかにも乙女趣味のベッドで医学書を読む入江くん。
何年たっても似合わない。
入江くんはちらりとこっちを見るとすぐ医学書に視線を戻す。
「何だよいきなり」
「私は夫婦に隠し事があっちゃいけないと思うの」
色々考えたけど答えがでるわけもなく、痺れを切らして入江くんに直接聞くことにした。
入江くんは昔から嘘はつかない。
じーっと入江くんを見つめる。
医学書に注がれる真剣な眼差し。長い睫毛。通った鼻筋。薄い唇。うん。かっこいい。
問い詰める筈が入江くんについ見惚れてしまう。
パタン、と医学書を閉じてこっちをみる。
「…るよ」
「え？」
「隠し事、あるよ」
「え、ええ！！」
自然と眉毛が八の字になり、身を乗り出して追い込む。
気がつくと入江くんとの距離がゼロになる。唇が塞がれていた。
解放されると、頭をポンポンされる。
「お前が気にすることじゃないよ」
ーずるい。
はぐらかされたのは分かっているがこうなるともう入江くんには勝てない。それからぎゅーっと抱きしめられる。
「余計な事考えんなよ」
ゆっくりとベッドに沈んでいく。
「絶対はぐらかされた」
食堂で昼食をとっていたが、昨夜の事が頭から離れずなかなか進まない。
「どうせまた入江先生の事でしょ」
一緒にいたもとちゃんは呆れ気味に呟いた。
「だいたいあんたは恵まれすぎなのよ！あーんな素敵な旦那様がいて、子供も授かって、それで最近優しいんでしょ？」
「優しいよ。昨日だって…いやっ何でもないっ…で、でも、絶対何か隠してるのよ！！」
「それが浮気だって？」
「あ、啓太」
「入江さんも男だしね」
「真里奈！」
「みんな、あんまりいじめないの」
「智子ぉ」
科もシフトもばらばらなのに、珍しく全員が昼食の時間が一緒になった。
啓太、真里奈、智子は私を囲うように席に着いた。
「浮気とかそんなの疑ってるわけじゃないのよ、ただ最近本当に帰りが遅くて」
「で、看護師達が車に女性と二人っきりの入江さんを見たと噂してたと」
「うん」
「思いっきり疑ってんじゃん、入江の事」
このメンバーはいつも私に冷たい。
智子以外、顔に馬鹿らしいってかいてある。
「それを聞いて琴子は何か気づかないわけ？」
「だから…う、わ…いやぁ」
「まあまあ、琴子さん落ち着いて。入江さんなら浮気するなら堂々とするわよ」
「「「智子」」」
ガタン。大袈裟に椅子を引いて、ほぼ食べた定食のお盆を持ち上げる。
「みんなひどいよ！私は真剣に悩んでるんだからね！ごちそうさま！」
捨て台詞をはいて食器をさげる。
なんでみんな私の気持ちをわかってくれないのだろう。入江くんは優しい。確かに優しい。信じてないわけじゃない。だけどどうしてもちょっとの事でも不安になるのだ。
「ホント馬鹿よね、琴子」
「病院中噂なのにね」
「入江も言えばいいのにさ、柄にもないことしてんなよな」
「琴子さんらしいわ」
私が去った後、四人が何話していたかなんて気にもとめてなかった。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
この日にアップしたかったので後編は少しおまたせするかもです。
入江くん！誕生日おめでとうございます！