ウェブと人間との関係性について | 土と太陽

ウェブと人間との関係性について

henhagiさんの投稿「google windows そして」について

僕の記憶が正しければ、googleの支配についてはいく人かの識者や、無名のウェブ人が指摘するところであり、その焦点は「思想の統制」にあった。ネットからのコピペで大学のレポートを書く時代だから、そこに流れる情報は、若者を中心に信頼されていると推測される。もしgoogleが情報を操作したら(たとえば検索結果の表示順序はどうだろう)、われわれの考え方は変わっていくのではないか。それが思想の統制であるといえる。

ただ、それは現実的にはあまり考えられないし、そもそも、googleもWindowsも、「ツール」であって「コンテンツ」ではない。もし台所用品がほとんどドイツ製であっても、料理の内容はそれを使うシェフによって変わるし、ドイツに支配されているとはあまり考えられない。料理を彩る食器は日本製かもしれない。

googleやWindows、いや、インターネットそのものによって生じる、より重要な問題は「コンテンツ」の側面、つまり情報がフラット化することと、情報量が膨大であること、そして刹那的であること、だろう。

情報のフラット化というのは、誰もが発言できる中で、権威がいなくなることである。皆が「おもしろい」「すごい」と思ったこと、そしてアクセスが増えることで、そのページのコンテンツのランクが決まる。誰々が書いた本、というような、個人に付された権威は(当然ながら)消失し、内容によってのみ、そのランクが決まる。
情報量の膨大さを物語る最たるコンテンツは、ニュースサイトである。たとえば現在、少年犯罪は急増していない、治安も悪くなっていない、というデータがあるにもかかわらず、「主観的な」犯罪率、治安への不安感は高まっている。このことと、ネットで垂れ流される犯罪ニュースは無関係ではないだろう。もちろん、テレビの影響の方が強いのは明白である。ただし、細かい刑事事件は毎日のようにyahooなどのニュースのトップに掲載される。
そして、情報が「フラット化」し「膨大な」になるということは、情報が「刹那的」になることを意味する。昨日流行った言葉が今日には古くさい言葉になる。出たばかりなのに、世界のナベアツではもう笑えない。つい先日の「あなたとは違うんです!」も、すぐに全国に流れて、それに関連するスレッドが乱立したようだ。そうして一気に膨張した情報は、皆が知っていて皆が使うため、使い古されて儚く消えていくだろう。

ただ、これらの現象が直接的に「問題」とはならない。なぜなら、単に「コミュニケーションが大きく変容してきていること」しか示していないのだから。大切なことは、こういった現状に対して「どのように」振る舞うか。大きな波に乗るサーファーになろう。