「人間性」について
mixiのニュースで、引きこもりの平均年齢が30歳を超えたとあった。俺は引きこもりやニートを擁護する。ただし、将来就職をする形での社会参加を望みながら。
人は、ある時期に自分の内側に閉じこもることが絶対に必要だ。外界からの交流を全て閉ざし、自分が神になるまで精神世界を肥大させ、でも寂しくなり、あるとき、まるでアラブの昔話のように、外から楽しそうな話が聞こえてきて、ふと扉を内側から開けて外界へと足を踏み出す・・・そんなプロセスが。
何か、焦っている気がする。社会も個人も。人材育成、二極化、下流社会とか。もちろんその対策は必要なのだ。でも、0と1の、その間を見落としていないか。
悩み。その悩みこそが、人間である。それは、日常生活という【有限性】に足をつけ、大空と太陽という【無限性】に向かって手を伸ばし、いつかあの空に飛びたいと願う祈りである。しかし飛ぶことはできない。人間は自由ではないから。しかし、奴隷でもない。
俺はそういう人間の一人である。夢をみつつも現実に拘束され、その中でしか生きることができない人間である。そして、そういう人間の波にもまれながらも、まぎれもなく人間であり続け、人の上に立つことも、人の足に踏みつぶされることもせず、誰であっても対等の視線で向き合うことができ、同じ「悩む」人間として、現実と向き合う力を持った、か弱き人間であり続けたい。
人は、ある時期に自分の内側に閉じこもることが絶対に必要だ。外界からの交流を全て閉ざし、自分が神になるまで精神世界を肥大させ、でも寂しくなり、あるとき、まるでアラブの昔話のように、外から楽しそうな話が聞こえてきて、ふと扉を内側から開けて外界へと足を踏み出す・・・そんなプロセスが。
何か、焦っている気がする。社会も個人も。人材育成、二極化、下流社会とか。もちろんその対策は必要なのだ。でも、0と1の、その間を見落としていないか。
悩み。その悩みこそが、人間である。それは、日常生活という【有限性】に足をつけ、大空と太陽という【無限性】に向かって手を伸ばし、いつかあの空に飛びたいと願う祈りである。しかし飛ぶことはできない。人間は自由ではないから。しかし、奴隷でもない。
俺はそういう人間の一人である。夢をみつつも現実に拘束され、その中でしか生きることができない人間である。そして、そういう人間の波にもまれながらも、まぎれもなく人間であり続け、人の上に立つことも、人の足に踏みつぶされることもせず、誰であっても対等の視線で向き合うことができ、同じ「悩む」人間として、現実と向き合う力を持った、か弱き人間であり続けたい。