ていうか太陽の中で寝ている
ブログネタ:豆電球消して寝る?付けて寝る? 参加中最近は、太陽が昇るのを見届けて眠り、太陽が沈むのを見送るために起きる生活をしている。なんということだ。ただ単に昼と夜が逆転しているのだ。
ところで、なぜこういう生活をしているかというと、4月から始まる大学院までの期間に、自分が会社を辞めて大学院に進学する理由ーーそれは「非人間的な社会システムの中で、いかに人間性を回復させられるか」であるがーーについて、柱になる思想を手に入れなければならないという必要性に迫られ、24時間考え続けていることが原因であります。考えることに昼も夜も関係ないわけなので。
先日は、聖書とフランクルの「夜と霧」を読んで夜を過ごした。また別の日は金原ひとみの「AMEBIC」を読んで。
大学時代もこんな生活をしていた。授業にも行かずに眠り、眠らなければならない時間に起き、とにかく考え続けていたな、と振り返る。そしてある程度考えがまとまり、就職してからは、自分でも驚くほどに、朝定刻に起きて夜2時頃には寝る生活ができた(もちろん無遅刻ではないが)。そして、その生活の間は、何も考えることができなかった。考える必要がなかったのではない、規則性と精神的疲労が、僕から考える力を奪い去ったのだ。
僕は規則性ということを嫌う。たしかに、ストイックなまでに生活のリズムを守ることは大切なことだと思うが、同時に、好きなときに寝て好きなときに起きる生活も奨励したいのだ。考え続ければ眠れなくなる。世界中では当たり前に知られていることであっても、たとえば僕が、「ああ、神とはそういうことだったのか」と”発見”したように、「知る」ということは常に自分にとっては新しくて、興奮するものなのだ。そういうひらめきの中で、さあ寝ようとはいかない。起きてさらに考え続けたり、考えをまとめなければならない。
そういう生活の中では、「昼夜逆転した」なんて嘆くこともなく、「俺が寝ている間は、太陽、お前がこの世界を見守っていてくれよ」なんて馬鹿げた考えを呟きながら、安心して眠ることができるのである。