日本でサービスを発展させるためにー祈りの視点からー | 土と太陽

日本でサービスを発展させるためにー祈りの視点からー

ーー社会と経済について考えていくブログよりーー
はじめに:これは友人に向けた返答であるため、一般の方は読みにくいかもしれないが、ふと訪れてくれた人にもわかってもらえるように書いているつもりである。しかしどうやっても友人以外は多分に読みにくい文章にしかならないことを謝りたい。

神なんて言うと、どこかの新興宗教と思われてしまうが、ここで述べる神とは、本質的で広義の「神」という概念として捉えてもらいたい。
henhagi氏は、「システム化された非人間的社会構造の中で、本来あるべき人間と人間の関わり合いを作り維持する作業(“取り戻す”とも言えるだろう)が、サービスである」と述べていて、全くその通りであり、格差、ワーキングプア、うつ病、自殺と、人間性が崩壊している今、強く求められている姿勢であると考えられる。

ところで、それを作り上げるためには、何かしら大衆に根付いた文化的な背景、そして「核」がないと難しいが、しかし日本にそれがあるのだろうか。球根が埋まっていない土からチューリップが芽を出すことを期待することはできないように。
「奉仕」というと、以前書いたように、映画「ライフ イズ ビューティフル」の一節、主人公のグイドが叔父から給仕とは何かを教わる場面で、「給仕は従者ではない。奉仕者なのだ。神は人間に奉仕するが、人間の従者ではない」という叔父の言葉を思い出す。
神という概念を掴まない限り、人間は奉仕者にはなれないと最近考える。いや、違う、逆に,奉仕者になれる人は神という概念を掴んでいるのではないか、と思う。もちろん、日本人だから「いや、神なんて知らないし信じてない」と言うだろう。しかし、人間を本当に愛する人は、変わらない悪しき風潮、流されるだけの大衆、未来の見えない社会性などに対して、憤り、この現状をどうにかしようと考えるはずだ。しかし、一人の力はあまりにも小さく、どうすることもできないか、血のにじむ思いで草の根運動をするしかない。それでも求め続ける。それが僕が「働くことについて」で書いた「祈り」であり、神なき日本において神に代わる概念として主張したいものである。

日本に神はいない。しかしサービスは奉仕になりえる。たしかにアメリカでは、資本家はいかに社会に対して、自分の使い切れないほどの財産を還元できるかを悩むと聞くが、その「カネ」と「福祉」の対極軸は日本にはない。スウェーデンのように福祉国家化するまでの歴史的反省もない。
しかし、土壌がある。そして水と空気と太陽があれば、どんなに弱々しくても草が生えてくる。水は金かもしれない。金は生きるために必要だから、そして与えすぎれば根を腐らす。空気は震えて声を伝える媒介、つまりコミュニケーションであろう。太陽は目標であり願いであり希望であり、祈りの対象である。そして、土壌は何か。人間の人間的感情である。現代の非人間的な生活に憤りを感じる人、本当に自分らしく生きたい人、さらには社会的な侮辱を受けた人,自殺を考えている人、相手を殺したいという衝動、不幸のどん底に叩き落とされた人生への憎しみ、その全てが、土壌になる。
友よ、アスファルトで舗装された強固なシステムさえ打ち砕く、小さな雑草になろう。