女女女、この不可思議な存在
ブログネタ:性別が入れ替わったら何する? 参加中俺が女になったら、なんて、突然ですが、口コミ番付?ブログネタ?に参加してみました。
若い頃は、女になったらバイブを入れたまま服を来て外出して、24時間絶頂したいとかエロいことばっかりだったけど、もう十分すぎるくらい女性と接していると、性的なものなんてどうでもいいや。
女になったら、女の友だちとショッピングして、カラオケして、お茶して、男をナンパして、付き合って、「なんでわかってくれないの!」とか「本当にあたしのこと好き?」とか甘えてみたい。
というのも、女にしかわからないものがあると思う。最近、女とは何か、ということを、切実に感じていて、といっても女になれるわけでもなく、所詮男の目から見た女なんて、かなりバイアスかかっていて本質的な女というものとは違った概念でしかなく、女がわからない。
金原ひとみの「アッシュベイビー」(集英社文庫)の解説で、精神科医の斉藤環さん(心理学者が金原の解説を書くということも興味深い)が述べている。
これまでの「小説」は畢竟、女性のリアリティを、その非定型性、もっと言えば、その不在性に求めるほかはありませんでした。「女性を描く」とは「いかに女性を描き尽くせないかを描く」ということを意味します。(中略)それらはあくまでも男性のへテロな欲望を前提とした、男性視点の「女性性」にとどまります。(中略)しかし、「金原ひとみは、そうした人達とはまた異なったベクトルを持って、そうした「女性性」と対峙します。
まったくその通りで、俺も会社に入って女の上司と関わる中で、それまで理想化してきた女という金メッキがはがれ落ち、「ああ、女とは単に生殖器が違う同じ人間か」と悟るに至ったが、メッキが剥がれたあとに現れてくる、生身の女性性、というものもあるわけで。金原ひとみや川上未映子さんの作品を読むと、ああ、女だ、女だ!と叫びたくなる、そして、男は十分に理解できないもの、それは毎日俺が電話している12年付き合っている彼女からも感じることでもあり、女とは何なのか、どういう生き物なのか、と、まるで「人間とは何か」を考えるのと同じくらい考えてしまうのである。
それを知るためには、女になって、女らしい生活をしてみるしかない。でも、もしそうなったら、「男って一体何?!」ということが、最大の悩みになるわけで、結論としては、夫と妻が入れ替わって、お互いの仕事や家事の大変さを理解し合うことはできても、性別が入れ替わって、男と女が分かり合えることはない、ってことですね。
若い頃は、女になったらバイブを入れたまま服を来て外出して、24時間絶頂したいとかエロいことばっかりだったけど、もう十分すぎるくらい女性と接していると、性的なものなんてどうでもいいや。
女になったら、女の友だちとショッピングして、カラオケして、お茶して、男をナンパして、付き合って、「なんでわかってくれないの!」とか「本当にあたしのこと好き?」とか甘えてみたい。
というのも、女にしかわからないものがあると思う。最近、女とは何か、ということを、切実に感じていて、といっても女になれるわけでもなく、所詮男の目から見た女なんて、かなりバイアスかかっていて本質的な女というものとは違った概念でしかなく、女がわからない。
金原ひとみの「アッシュベイビー」(集英社文庫)の解説で、精神科医の斉藤環さん(心理学者が金原の解説を書くということも興味深い)が述べている。
これまでの「小説」は畢竟、女性のリアリティを、その非定型性、もっと言えば、その不在性に求めるほかはありませんでした。「女性を描く」とは「いかに女性を描き尽くせないかを描く」ということを意味します。(中略)それらはあくまでも男性のへテロな欲望を前提とした、男性視点の「女性性」にとどまります。(中略)しかし、「金原ひとみは、そうした人達とはまた異なったベクトルを持って、そうした「女性性」と対峙します。
まったくその通りで、俺も会社に入って女の上司と関わる中で、それまで理想化してきた女という金メッキがはがれ落ち、「ああ、女とは単に生殖器が違う同じ人間か」と悟るに至ったが、メッキが剥がれたあとに現れてくる、生身の女性性、というものもあるわけで。金原ひとみや川上未映子さんの作品を読むと、ああ、女だ、女だ!と叫びたくなる、そして、男は十分に理解できないもの、それは毎日俺が電話している12年付き合っている彼女からも感じることでもあり、女とは何なのか、どういう生き物なのか、と、まるで「人間とは何か」を考えるのと同じくらい考えてしまうのである。
それを知るためには、女になって、女らしい生活をしてみるしかない。でも、もしそうなったら、「男って一体何?!」ということが、最大の悩みになるわけで、結論としては、夫と妻が入れ替わって、お互いの仕事や家事の大変さを理解し合うことはできても、性別が入れ替わって、男と女が分かり合えることはない、ってことですね。