人間はなぜ「ロボット」に成り下がったのか
友人のブログへの人間学的考察ーー(リンク元参照)
映画「ライフ イズ ビューティフル」の中に、こんな台詞がある。
主人公のグイドが叔父のレストランで働き、給仕の姿勢について彼から助言を受ける。
「給仕は従者ではない。奉仕者なのだ。神は人間に奉仕するが、人間の従者ではない」
友人がしばしば語る、宗教と科学の関係性ーー昔、宗教と科学は同一のものであったが、科学は宗教を排除し、宗教はよくわからない閉鎖的な存在へと変わってしまったーーという話は、まさに「はたらく」ことを、サービス=slave=奴隷と成り下がらせた諸悪の根源であろう。
宗教と科学が同一のものであり、我々が神とともに存在していた頃、はたらくことは、「奉仕」であった。しかし、科学がわれわれの生活に浸透し、それこそが絶対的に信頼のおける「普遍的」法則のように考えられている今、われわれにとっての神は機械、または合理性であろう。機械が行うことは、奉仕ではない。そこに意思がない。それゆえ「奴隷」となり、われわれは「能率」と「合理化」のみを要求されてしまう。
この文脈で、ドラえもんの比較的新しい映画「のび太とロボット王国」を見てみてほしい。人間と機械が仲良くしようなんていう表面的な夢物語を超えて、現代社会の問題が皮膚に突き刺さるだろう。
この悪しき現状を超越するためにはどうしたらよいか。
その点についてのトラックバックを求める。
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FROM
http://ameblo.jp/serviceeconomy/entry-10068004018.html
映画「ライフ イズ ビューティフル」の中に、こんな台詞がある。
主人公のグイドが叔父のレストランで働き、給仕の姿勢について彼から助言を受ける。
「給仕は従者ではない。奉仕者なのだ。神は人間に奉仕するが、人間の従者ではない」
友人がしばしば語る、宗教と科学の関係性ーー昔、宗教と科学は同一のものであったが、科学は宗教を排除し、宗教はよくわからない閉鎖的な存在へと変わってしまったーーという話は、まさに「はたらく」ことを、サービス=slave=奴隷と成り下がらせた諸悪の根源であろう。
宗教と科学が同一のものであり、我々が神とともに存在していた頃、はたらくことは、「奉仕」であった。しかし、科学がわれわれの生活に浸透し、それこそが絶対的に信頼のおける「普遍的」法則のように考えられている今、われわれにとっての神は機械、または合理性であろう。機械が行うことは、奉仕ではない。そこに意思がない。それゆえ「奴隷」となり、われわれは「能率」と「合理化」のみを要求されてしまう。
この文脈で、ドラえもんの比較的新しい映画「のび太とロボット王国」を見てみてほしい。人間と機械が仲良くしようなんていう表面的な夢物語を超えて、現代社会の問題が皮膚に突き刺さるだろう。
この悪しき現状を超越するためにはどうしたらよいか。
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