産業カウンセラー・ゲンキアップコンサルタントが伝える『ゲンキ・イキイキの秘訣』

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イヤーコーニング

 

イヤーコーニング。

 

今までに幾度も体験しているのですが、その度に新しい体験があります。

 

この不思議な世界に魅せられて、イヤーコーニングをさせていただいてます。

コンサルの世界でも、「何もしないこと」を目指す。
そんな言葉を色々な先生方が異口同音におっしゃいます。

 

とは言え、中々程遠い所におりますが、このイヤーコーニングに出逢って

「何もしない」の感覚をすこーしばかり体感させていただいた気がします。

 

マッサージするわけでもありません。


オイルを塗布するわけでもありません。


リンパを流すわけでもありません。

 

 

ただ、ただ、
コーンに火をつけて、その火を見守るのみなのです。

 

それなのに…、イヤーコーニング終了後に不思議な体験を聞かせていただくことに…。

 

どんな変化が起こるのか?
 

それはわかりません。
 

もしかしたら、ふかーい何かを感じていただけるのかもしれません。

ただ、わたし自身
 

 

出逢う前と今とでは大きく変化したことは実感しています。

 

年末年始、新しい自分に出逢う時間。


ピンと来た方はメッセージくださいませ。

コンプリート

はじまりは他愛もないことだった。

 

朝、たまたま対向車のナンバーが7777だったことから始まった。

「お!7777なんて縁起がいいやん!」と嬉しくなった。

しばらく走ったら、混み始めたので、

待つのが嫌いなわたしは曲がらなくても良いところで曲がる。

 

曲がったところで出会ったのが、777黒い車が信号待ち。

 

あら!

「ならば、次は77と7を見たら揃う❣️」


変なところで意欲を燃やしてしまった(笑)

 

そう決めたら、向こうから赤い77がすぃーとやってくる。

 

「あと7だけ…」と思ってたら、

最後は真っ黄色のランボルギーニが7❣️

 

翌日、調子に乗って「1シリーズ」ともう一度「7シリーズ」やってみた(笑)
もちろんコンプリート❣️

 

他愛もないお遊び。

 

けれど、自分が見たい世界はいつもそこにある。そこに意識をむけるだけ。

いつも奇跡はすぐそこにある。

 

[追記]
昨日は9シリーズでコンプリート♥️
(世間は師走というのに何やってんだか…)

自分の心に、素直になれるかどうか。

些細なことでケンカした。

 

そんな時はたいがい言葉の行き違いから、思いの行き違いへと。

 

 

あかん、あかん。

 

 

本当はそんなこと
言いたいわけじゃない。

 

 

勢い口から飛び出した言葉に、
場が支配されて…
 

 

あぁ。。違うのに…。

 

冷静に。

 

落ち着いて。

 

丁寧に自分の想いを探る。

 

 

そして
 

その自分の想いに
 

素直になれるかどうか…?

 

相手にではない。
 

自分の心に、素直になれるかどうか。

 

鍵はそこ。

 

冷たい空気を引きずるのか?

 

ほっと笑顔になれるのか?

 

自分の心に素直に。。

 

幸せになりたいのなら・・・

相手が喜んでくれるならら、自分がちょっと我慢すればいい…。

コレって、案外簡単に思ってしまうのかもしれない。

ましてや、その相手に何らかのお世話になっている関係だとしたら。

で、自分が後々に尾を引かないのなら、まったくまったく問題はないと思う。

こんなことは日常茶飯事で起ることだとも言えるから。



だけど、だけど、


その我慢する気持ちがどこかでバランスを取れないと心の中に溜まる、溜まる。
①お世話になっている(過去・現在・未来)>我慢
②お世話になった(過去・現在)=我慢
③お世話になった(過去形)<我慢


①や②はいいとしても、③が続くと…ストレス。

自分に対して言い訳(言い聞かせる)しなくちゃバランスが取れない状態だから。

まるで呪文のように「こんなことも、あんなこともお世話になったんだから、我慢しなくちゃ…」と。


※「お世話になった」を「報酬」や「利益」と書き換えられるかもしれない。


コレしんどいです。自分の中の葛藤は誰も知らないわけで、

誰も評価も承認もしてくれない訳で、自分ひとりで抱えることになるから。

それに、はじめは相手も喜ぶけれど、段々とソレが当たり前になるのが人の性(さが)。



『自分で自分を支配することが出来ない人は、不幸になりやすい』 

- 武者小路実篤 -



「Noと言えたらどんなに楽だろう…」と思うなら、Noだと言うこと。

自分自身がこんなにもしんどい想いをしているのを相手は知らないんだから。

これ以上嫌にならないために、不幸にならないために。



今だけじゃないから。
これからもその関係が続くんだから。

自分の人生なのに他人に支配されているのでいいのなら我慢していればいいと思う。(厳しい?)



Noと言う人は、嫌な人でも、悪い人でもない。


自分の人生の主導権は自分が握る。


幸せになりたいのなら。ドキドキ


昨日はそんなことを話した日だった。

「学ぶ」とは、真似ぶこと

- 今日の言霊 -

「学ぶ」とは、真似ぶこと

“真似ることから始まり、それを習慣としていくことで自分のモノとなる。”
と、聞きました。

朝起きたら、顔を洗うことも、歯を磨くことも
すべて無意識的にこなしているけれど、
はじめは教えられ、親の真似をして、
それを毎日続けて習慣となったのですよね。

習慣になるまでが、意識付けが必要ですが、習慣となればしめたものです。


出来ないのは、知らなかっただけ。
出来ないのは、習慣になっていないだけ。
そこで、出来ている人の真似をすること。

元気におはようの挨拶も
笑顔でありがとうの言葉も
毎日続けることから、自分のモノとなります。

気持ちの良いコミュニケーション、
成果をあげているビジネス手法
結果を出している方に学ぶ(真似ぶ)ことから。



だから、
子育てのことは、あんな風に育って欲しいと思えるお子を育ててる人に
夫婦のことは、あんな風な夫婦になりたいという関係を築けている人に
ビジネスのことは、あんな風に仕事をしていきたいと思える人に
生き方のことは、あんな風に生きたいと思える人に


そこに視点を向けないと、波動の法則 が働いて
悩んでいる同士が引き寄せられてしまうから。

『美しい心で生きる』

外でお食事をして“何かが紛れ込んでいる”ってことがたまにある。基本的には、それはあってはならないことなんだけど、起る。例えば、小さい虫、髪の毛、布巾やタオルの糸くず等など・・。

私は今まで体験したことでは、
とあるホテルでお食事していて、最後のデザートのアイスクリームに蚊が・・

また別のホテルでは、最後のデザートの果物に髪の毛が・・○永のチョコレートを買えば糸くずが練りこまれていたし、ステーキ食べたら、サラダに虫がもぞもぞしていたし、けっこうある。

友人に聞くと「そんな経験ない」と言う人も多いし、あっても私ほどは多くないらしい。

ある方とお話をしているときに「そんなことが多いんですよ」と話したら、その方が仰った「あなたの人生を見直して見なさい。そんなクレームになるようなことを招きよせているんじゃないですか?当然ホテルやちゃんとしたレストランなら、無料になったり、値引きをしたりでお詫びをするでしょう。ソレを幸運と思ったり、逆に文句を言ったりしていてはそれだけの人間になるのです」と。


えぇーー、だって虫が入っていればクレームつけるし、ある時は3人で4万円くらい払うところが御代は結構ですと言われたこともあるけど、ソレは自分が招き寄せているってぇーー。

びっくりした。いや愕然とした。ショックだった。

その方は続けて、「クレームを言うときに戦いモードのような相手をやっつけてやろうとか、言い負かしてやろうに近い腹立ちの感情を持って対応してはいませんか?」

まぁ、戦闘モードとまではいかないものの、怒りはあったでしょうね…。なまじっか口が立つもんだからなぁー。


その方は「美しい心でいれば、どう対処するか?私なら、虫が入っていたことをお金を支払ってから帰り際にそっと伝えて帰ります」と仰った。

美しい心、美しい態度、美しい生き方、その心得を教えてもらった気がした。そして、不思議なことにソレを知ってから、そんな場面に遭遇することがまったくない。


最後にその方は「人はどんな状況であっても、うまく自分を正当化して都合のいい解釈で言葉にするものです。不平不満は聞き苦しいもの。かと言って、自分が全てを我慢するのではないのです。人は不完全なものですから、譲り合い、許しあえればお互いに気持ちよくいられます」と。

譲り合い、許しあうこと。。。
一個の席をどちらが取るか?取った取られたの世界を生きるのではなく、半分ずつ座るのも方法なのだ。
物事をやった人、やられた人みたいな分け方をすると、被害者加害者ができてしまう。
けれど、同じことに対してでも視点を変えれば、逆転してしまうことも起る。

何かがあったとしても、眉間にシワ寄せてどんなに相手がひどいのかを語る顔は醜い。マイナスの波動を周囲に撒き散らすことにもなる。(ある意味の環境破壊かも?)


『美しい』『美しい生き方』『美しい心で生きる』
心がけたいと思う言葉になった。


そう言えば、新総理の安倍さんが提案されているのは「美しい国 日本」でした。。

媚びない女でいたい

昨日、数年来の掛替えのない友人と久しぶりに逢ってきた。
語り合った時間、PM1時からPM11時まで、10時間。


彼女とは数年前にある講座で一緒に学び、その後のサポーターも一緒で辛苦をともにした同志のような関係であり、ものの考え方や価値観が似ていて、出逢えたことに心から感謝している友人の一人。


仕事のこと、子どものこと、親のこと、どんなことも表面的な見方をしない人。つまりは、起っている事柄だけに囚われず、その奥にある意図や想いに意識が向けられる人だから、愚痴のこぼしあいの世間話にはならないから、心地よくいられるし、心がドンドン軽くなっていく。


だから、何時間を過ごしても、何を話しても、「あるがまま」をどう受け取るか?に意識が向く。

40代も半ばを過ぎた女が二人、何を語り合ったか?

「言っても仕方ないことは言わない」←何も始まらないから

「自分の人生なのに、起る出来事を被害者のような見方をする人とは付き合わない」←エネルギーの消耗であり、自分のエネルギーや意欲まで奪われるから。

「人に良く見られるよりも、自分が気持ち良いと思える選択をする」←自分に正直でありたいから。

などなと、折り返しを過ぎた私たちが、自分の人生をどう生きるのか?のようなテーマだったといえる。


彼女はとても潔い人で人に媚びない。
人の期待に応えたいという気持ちは誰しもあると思うけれど、答えるために自分の感情を抑えたり、曲げたりすると、期待に応えるというよりも悪く思われたくない。気に入られるように振る舞う。相手の機嫌をとる。へつらう域に入るのかもしれない。

それは媚びることにもつながるのかもしれない。

男女関係の場合には、それもひとつのテクニックなのかもしれないけれど、私は媚びるのは嫌い。



別れ際に真剣なまなざしで彼女が言った言葉は「自分に納得して生きたい」
私も深く頷いた。

ナルホドでございます。

我と欲が増えれば、幸せと笑顔が減る。

いつも通るお寺の掲示板に貼られていた言葉です。


ナルホドでございます。

からだが教えてくれる

毎夜の日課となったウォーキング。
いつものコースを変えて、少々足を伸ばしてみました。

夜風はすっかりと秋の様相で、ひんやりと静かです。
だから、真夏ほどは汗もかきにくくなってきてます。

いつもは半分歩いた辺りで、途中のわき道に座り込んで
ストレッチしてまた後半分を歩くのですが、
今日はコースを変えたので通りかかった公園でストレッチ。

その公園はうっそうと木々が生い茂り、
街灯がその木を照らす坂の途中にある静かな公園
(夜の公園なんだから静かなんですけどね)


座り込んでストレッチし始めたけど、からだが硬いのです。
全然弛んで来ないの。あくびは出るわ、出るわ。
身体は弛まないわ。ダメだこりゃ!と早々に退散。


坂の途中で、高校のグランド下で、
風も通りにくく、うっそうとして、気が滞っていた?

"気が合う"って言葉、人と人との関係でよく使いますが、
場所もそうなんですねぇ。

気の合う場所があり、それを身体はわかっていて、
ちゃんと教えてくれているのです。
それをキャッチする感覚を忘れないでいたい。


明らかにイヤだとまで感じなくても、
身体が固まっているときは拒否反応ですものね。
まして、何となくいやな気がする...そんなところには長居は無用です。
だってからだが嫌がっているから。


ウォーキング、
基礎体力向上と身体を引き締めたくてはじめましたが、
身体との対話になっている気がしています。


自分の身体中のあらゆる細胞も大きく見れば大宇宙の一部であり、
自分の周囲に充満している宇宙エネルギーの広大な力が
身体を通して伝わってくるような気がします。


身体って本当に色々なことを教えてくれます。

一人じゃ頑張れなくても・・・

自分のために頑張るって、当たり前のことかもしれない。
ケド...「もぉ~しんどいよぉ」とか、
無理ぃ~」とか、「できないぃ...」とかの
めげそうな気持ちが出てきたときって、人は弱いものですよね。

それに打ち勝ってこそ!と言われたら、そりゃそうでしょう。
でも、もう頑張れない...と感じちゃったら、どうしてます?

最初から無理だったんだ...と、言い訳するかもしれない。
一生懸命やったけど...と、自分で自分を慰めるのかもしれない。
もしかしたら、誰かのせいにしちゃうかもしれない。
どの道、達成できない状況に自己嫌悪。


最近あちらこちらで、自分のやりたいこと、
自分がワクワクすること、
自分が楽しめることをやりましょう!とよく目に耳にします。


それを否定するつもりは毛頭ないけれど、
それで上手くいった経験のない人・勝ち癖のついていない人は
どこかで不安を感じたりすることがあります。
心の奥で「おいおい、ワクワクしてるだけで上手くいくんかいッ」とか、
「好きなことして楽しんでってほんまかいッ」みたいな。

それを感じた始めた時点から、逆回転。
上手く行かなくなるのかもしれないのです。


私たちは、誰かに支えられて、
誰かに喜んでもらえるから頑張れるってことが
すごいパワーを生み出すことを知っています。

先日の甲子園でも自分達の持てる力を最大限に発揮して、
再試合を制した早実。優勝投手の斉藤君は優勝インタビューで、
全ての人、部員全てに感謝の気持ちを語っていましたね。


マラソンでも沿道の声援に支えられました。とのコメントは毎回出ます。

自分のために頑張るんだけど、自分だけじゃ頑張りきれないとき、
へこたれそうになったとき、人に支えられると思います。
誰かが応援してくれているから、誰かが喜んでくれるために。


一人じゃ弱くても、誰かと一緒なら...。支えあう、応援しあう、
心と心でつながる、大切な誰かのためなら頑張れる気持ちが湧いてくる。
コレって、とてもパワフルなことだと思います。
自分のためだけじゃ踏ん張れないことも、
あなたが歓んでくれるなら踏ん張れるから。


人と歓びを共有し、我が歓びとできるって、
本当に素晴らしいことだと思います。
ここからのパワーはすごいと思うのです。


だから、本気で応援したい。
だから本気で支えあいたい。
自分のためと言うより、その方がパワーが出てくるもの。