長らく更新してなかったアメブロを

閉じることなく持っていたのは

きっとこのためだったのかもしれない。笑

 

 

先日、元子宮委員長はるちゃんでもある

吉野さやかさんの「億女大学」に入学しました。^^

 

 

 

 

 

と、いうのも。

 

はるちゃんこと吉野さやかさんが

家事と稼ぐことを統合された学びの場が「億女大学」だったから。

 

 

 

 

わたし自身は15年以上前に布ナプキン生活を始めて

生理が楽になったり

自分の心と体の歪みが

少しずつ弛んでいくのがわかって。

 

生理、子宮、女を大事にすることって 

めちゃくちゃ重要だなぁって感じていたら

  

はるちゃんが現れて、ずっとその活動を追ってました。

  

だけど

  

はるちゃん、すげー激しいなーって思ってて。苦笑

 

なんというか

その道の進み方が

  

素っ裸のブルドーザ全速力、みたいな感じで

  

 

はるちゃんのそのイズムを感じながらも

  

その渦の中に入るのは

飲み込まれそうで

自分を見失うようで嫌だった笑

 

 

わたしはわたしのペースを大事にしたい、みたいなね。

 

というより

私は自分が思うよりも保守で怖がりで

 

本当に少しずつしか

自分で築いた砂上の楼閣を壊せなかったのだろうと思う

 

(それだけ、親の呪い濃度がめちゃ濃かったとも言える)

 

はるちゃんの開拓する姿は眩しいほどだったけど

私には

まだまだ荒野を開拓するような力はないと思っていて

  

道端の雑草(という名の思い込み)を

ちまちま抜いていく日々、みたいな。

 

今の私は

これまでの私が作っていて

これまでの私、には

いろんな思い込みが作用してるから

ひとつ一つ、それに気づいては

抜いていくだけなんだろうな、って。

  

  

自分のペースでできることをしながら

ずっと、

子宮委員長はるちゃんから

吉野さやかさんになるまでを

 

いつもブログを見ては追いかけていて。

 

 

 

   

スポーツマンでもあった

旦那さんを応援したいと

10年間専業主婦をして

 

それこそ

一生懸命、家事と子育てに

正しい妻と母であろうと

まさに「自分を捧げた」時間から

楽しい母になろうと進んだ日々があって

  

(あの当時は、自分の時間、なんてなくて

 自分を解放することの大切さを知って

 子育てを楽しもうと頑張ってたけど苦しいことも何度もあった)

 

旦那さんがスポーツを引退した時(今から10年前)

 

もう私は

家事も子育てもやり切った!

これからは自分の好きなように生きるんだー!って

  

家を飛び出すかのように

外の世界に出ていって

  

出会うご縁のままに

できることを色々やって

地域で一大祭になるようなイベントをやってみたり

コーチングに出会ってコーチとして活動してみたり

写真に出会って

外から見た自分を知って外見が激変したり

カメラのプロ機を買って学んでみたり

かねてからの文章力を誉められることが高じて

ライターとして人の魅力を紹介することをやってみたり

 

できること、やりたいと思ったことは

まずなんでも飛び込んでやってみたんだよね。

 

家はいや、外に出るんだ!

外で生きる自分を作るんだ!って。

 

 

でも、いつでもそこで付き纏うのが

 

「枯れ果ててしまう自分」

 

 

自分が役に立っているとか

誰かに貢献できているっていうことが

いつもなかなか感じられなくて

  

頑張っても

頑張っても

 

(外の世界の人は誰も責めてないのに)

  

自分はダメなんじゃないかって思ってしまう

  

頑張るほどに疲弊してしまう自分に気づいては

  

あぁ、そうじゃなかったんだって

  

また一つ一つ

心の泉の中の「澱」を洗い流して

  

少し綺麗になった私で

  

それこそ

  

両親の呪いと

両親への復讐をしていた自分に気づいては

  

手放して

  

少し楽になって進む、を繰り返してきたのだけど

 

 

そうやって、過ごした10年を経た今

  

  

 

何をどう生きたって

人は「暮らす」ことからは免れないなら  

  

やっぱり

内と外を切り分けること、

暮らしと働くことを分断して生きることは違うな

  

 

というところに、思い至ったのね。

  

 

ある日、ふと思ったの

  

いつから、家事をすることを

めんどくさいことって思っちゃうようになったんだろう?って。

  

あ、なんか、これって違うな、と。

 

 

家と社会

内と外

 

分断して

自分を切り貼りしてる限り

私は私にはなりきれないなぁ、って。

 

 

そんなことに気づいたら

 

思い切り家を整えたくなり。

 

 

元々、片付けは好きだったし

ものを多く持つ方ではなかったから

  

ぱっと見は

そこそこに片付いている心地よい家、だったけど

  

 

家を飛び出すように

外の世界で好き放題してきた

 

そんな私の鏡でもある家は

 

 

(まぁ、これが、

 いわゆる親への人生をかけた反抗、でもあったんだけどね)

 

よくよくみたら

  

窓のサンや

フローリングには

すっかり景色の一部になった汚れが染み付いていて

  

 

私は始めて

自分の家の「汚れ」を

まざまざと認識したのです。

 

 

あぁ、これじゃいかん!と

  

家を、整えよう!そう一念発起して動き出した時

  

久々に開いたアメブロで

さやかさんのブログを見たら

  

億女大学を、再募集してて。

  

最初の講義は、お掃除術。

  

あぁ、もうこれだ、今の私に絶対必要なやつ、って

  

  

これまで

過去15年の間に

いろんなセミナーをかじった結果

答えは自分の中に絶対あるから

コンサルやセミナーには頼らないって

この数年は何かを教わることはしてなかったのだけど

  

久々

これは学びたい、知りたい、と思って

  

  

始めて、夫にも相談。笑

  

  

私、生きることとビジネスのことを

切り離さない生き方を学びたいんだ、って。

  

相談というより、申し込む前提の、宣言みたいなもの。

やりゃーいーじゃん、って言われたのを安心材料に

  

すぐ、お申し込みして。

 

この1週間ほど

億女大学の音声や

過去のさやかさんのYouTube漬けの日々を、送っています。

 

 

これまでは、ブログは見てたけど

YouTubeは見てなかったのね。

  

今はさやかさんの声がすごーく届く。

今まではきっと、そのタイミングじゃなかったんだろうなぁ。

 

 

先日は、2回目の講義。

↓↓↓

 

 

母の呪い

父の復讐。

  

本当、これが人生の大いなる部分を左右してると言っても

過言じゃないくらい。

  

何度も聞いて

何度も自分に置き換えてみて。

 

いっぱい、ある。笑

  

母の呪いのせいにしてること。

父への復讐のせいにしてること。

  

あー、これからたくさん、気づくのだろうな。

 

 

これまでも気付いたつもりでいたけど

まだまだだった〜〜〜〜。

 

 

その中で、今朝分かったこと。

  

 

「頑張っても愛されない。」

 

 

これが、あったんだ、ってこと。

 

だから、ずっと枯渇してたのよね。

  

頑張っても、愛されないから。

頑張っても、報われないから。

  

だから、

  

頑張る、という言葉を聞くだけで

頑張らなきゃ、と思うだけで

  

心の力が抜けていくような気持ちに、なる。

  

だって、頑張ったって愛されないって、拗ねてるんだから。

  

だから、頑張りたくない。

これ以上、虚しさを味わいたくない。

  

そんな気持ちになってたんだなぁ。って。

  

 

 

さやかさんの伝えてくれた言葉全部が

私の心に染み入って浸透するまでには

まだまだかかるのだろうけれど

  

こうやって

一つ一つ

自分に気づいて、知って

 

そして

  

今までとは違う

これからの私のための一歩を

選んでいくだけ、なんだろうな。

  

頑張っても愛されないと思っていたからこそ

それを証明していた私とはバイバイして

 

自分を幸せにするために楽しんでいいし

頑張ってると思わないくらい楽しいことに夢中になってもいいし

  

むしろ、この思いに気付いたからこそ

もしかしたらこれからは頑張れるのかもしれない。

  

母に、父に

愛されるための努力ではなくて

  

私が私を喜ばせるために。

  

そんな気がする、今日。

 

 

家を整え初めて

何気なく始めた、壁塗り。

 

 

これが楽しくて、もうすぐリビングの壁が塗り終わる💓

 

自分の一番の居場所が、綺麗に整っていく、心地よさ。

 

家事ってやるべきことだったけど

楽しんでいいこと。

 

住まう自分と家族の

その心地よさのために

 

堂々と自分の

「好き」や「快」「至福」を選んでいい。^^

 

 

家も外も。

 

どっちも私のままで

どっちも手にしていいよね♪

 

 

また、書きたくなった時に、更新予定。

 

何年振りかのアメブロ更新でござった♪

これをするなら、このくらいの結果は得ないと

 

これにこんなにお金も時間もかけるなら

仕事にするくらいじゃないと

     

資格を取って、誰かに伝えるくらいにならないと

 

  

そんな風に   

  

 

これをするなら、これくらいはやれるようにならないと

 

 

そう言う感情が動いて何かを選んだり行動するときは、要注意。

  

  

  

本当に心から好きなことをする時って

   

   

「純粋にそれができることが喜び」

  

  

であって、その先はおまけみたいなものだったりする。

  

   

これをするなら、これくらいはやれるようにならないと 

 

 

この思い(思考)がある時は

  

一体、それ、なんのために、誰のために、やってるんだろう?

 

そんな問いかけをしてみることで

  

  

本当の、目的が、見えてくるかもしれません。

 

 

 

結果があろうとなかろうと。

  

やりたくてやるだけ。

 

そう思えるものこそ、本望からの、したいこと。

 

 

    

わたしがやりたいからそれをやる

 

日々やることの純度を高めていくと

   

自分がやりたいだけ

  

だから、見返りがあってもなくてもいいし

   

できたできないで、自分の価値を上げ下げしなくなる

  

  

 

やりたいことを選んでる自分に◯だから。

 

 

 

今日、あなたのやりたいことは、なんですか?

 

 

それは誰のために、なんのために、やりたいのだろう。

 

 

理由がないことを

根拠も貢献もないだろうことを

 

ただ、わたしがやりたいことをやる1日を持ってみても良いですね♡

 

 

 

ただ、芝生にゴロンしたかっただけ。

 

それが最高に気持ちよくて満たされた、ある日。

散々自己啓発や生き方を学んできたのに
なんだか体感できないままに40代を迎えてしまった人

望んでいるあり方、生き方にはなぜか近づけない・・・

そんな人と
  
45歳からもう一度、
  
自分を知り、自分を認め受け入れ、
私として生きていく毎日を作っていくための
  
気づきと選択をシェアするブログです。
  
  
改めまして、あそゆかです。
   
ちょっと複雑で壊滅的な家族のもとに生まれ育ち
  
幸せに生きるってどういうことなんだろう
  
その答えを追い求めて生きてきました。
  
  
大学では心理学を専修
以後もさまざまなメソッドを
見つけてはかじり、学び
やってみるも

なんだかまだまだ足りない気がする。
  
そんなことを繰り返してきて。
  
 
その間に2回の出産、
子育てを通してコーチングに出会い
  
自分自身との付き合い方こそが
幸せに生きるためのコツと
   
取り組んできた「つもり」だったけど。
  
  
45歳にして、それは「つもり」だったこと・・・
   
頭でばかり考えて、
感情や感覚をまだまだおろそかにして来たことに気づいてしまった。
  
そして、
   
今まで散々、「学んで」きたことたち・・・

心理や、コーチングや、自己啓発
引き寄せで言われていたことの意味が
   
やっと
   
体感として腑に落ちるようになって来ました。
   
  
この体感があってから、私の毎日は今
  
少しずつ、でも明らかに変化しています。
  
  
 
外の世界はすべて   
  
「私の意識の賜物でしかない」
    
だとしたら、私が意識するのは
   
私の内側
  
ここで今この瞬間に何を感じているのか
  
どうしていきたいかだけ。

  

  

本音に、フォーカス。
  
  
長年、散々外の世界を見て来たからこその
厄介な思考の癖ももちろん健在。

 

だからこそ、

 

和解しながら、
解きながら。

進んでいます。
  
  
頑張って生きて来たのに
頑張った分の結果が得られていない
  
目指して来たのに
たくさん学んだはずなのに
なんだか自分の中のずれ感がある
  
 
そんな人はもしかしたら
  
  
まだまだ、頭の声にコントロールさせすぎていて
  
自分自身の声を聞いていないのかもしれません。
  
  
私が私に気づき
心と現実の仕組みに気づき取り戻してきて
 

そしてこれから

 

もっと取り戻していく過程を
   
改めて綴ってゆこうと思います。

   
  
自分と仲良く
自分と調和して
私が私を生きるということを。
  
  
日頃は、ライター。
  
ご依頼者様と対談、その個性や魅力
ビジネスにかける想いやストーリーを
  
飾らず、盛らず、直球ど真ん中でしたためご紹介する   
「リアルボイス&コアライティング」
  
御用命はお気軽にどうぞ。
  

 
日々の暮らしの中の気づきを書き綴った時間は18年。
  
日々こそ、全て。
暮らしの中に、私の中に
全てのヒントがあるからね。

  

では、また。

緊急事態宣言が出され、一夜。

 

 

高校2年と中学3年をスタートさせるはずだった二人娘は

 

始業式だけ出て、また、休みの日々に。

 

 

 

この状況を憂う人も少なくないようだけど

 

 

日本に生まれて、

義務教育の世界

集団生活の中で生きることを当たり前に生きてきた私たちは

 

 

こんなことになって、大丈夫なのだろうかって

 

そう思う親御さんも少なくないんだろうな。

   

  

勉強とか、受験とか、部活とか。

 

 

 

 

でも、私は思うんだな。

 

 

もちろん、勉強は大事だけど

 

 

あんなに9年間もあった義務教育の中で

 

今自分が日々に活用できているのは

 

足し算と引き算と掛け算と割り算。

 

そして、読み書きする力くらいだ。

 

 

 

本当の学び、勉強は

 

 

いつだって

 

 

私自身がやりたいと心から望んだことの中にあった。

 

 

そしてそれは

 

大人になって、

 

自分の人生は、自分で選んでいくんだと、気づいて出会ったものばかり。

 

 

 

勉強が不要だとは言わないけれど

 

義務教育の全てが必須だとも、正直、思わない、かな。

 

 

 

だからこそ

 

これは

 

 

子どもにとっては

 

とんでもなく貴重な経験なのだろうなと思う。

 

 

 

決められた世界や時間割を生きる時間から離れて

 

 

時間も、やることも、全て

 

 

自分で選び、決められる権利を与えられたようなものだから。

 

 

ただ一つ、

 

 

自由に外出できない、だけで。

 

 

 

何時に起きても寝てもいい

 

どう生活してもいい

 

勉強してもしなくてもいい

 

 

自分の体と心の赴くままに生きられる時間を

 

 

与えられた中で

 

 

何をどうしながら日々を生きるかは

 

 

 

まさに

 

 

 

自己との対話がすべて。

 

 

世間の、社会の 

 

常識や慣例、ルールに囚われることなく

 

 

心の声を聴き届け

 

自分の本望に従うことを

 

 

体得していく期間なんじゃないかと

 

 

見方を変えれば

 

コロナのギフト

 

でもあるんじゃないかな。

 

 

 

そしてそれは、大人も同じじゃないかな。

 

 

今の目の前に突きつけられた現実に

 

 

幸せや豊かさをもし見出せないでいるとしたなら

 

 

本当は、どうしたいんだろう?

 

 

 

 

 

もちろん、これは一つの側面であって

これが全てではないし

 

どこかで医療崩壊の危機を目の前に

必死に頑張ってくれている人もいる

 

感染の不安もあれば

これからの社会の見通しなんてどこにもない

 

 

不安や恐怖は

 

見ようと思えばいくらでもあるけれど

 

 

 

でも、それでも

 

 

この今の中にこそ

 

ギフトがあるんだと思ってやまぬな、本日。

 

 

 

今日もまだ娘たちは、ベッドの中。

 

どんな1日を過ごすんだろうな。

 

 

 

外出自粛で、対面の仕事や撮影も一旦ストップ。

 

圧倒的に増えたのは、家で過ごすじかん。

 

 

強制的にこの生活になって

 

家というものを

 

暮らしというものを

 

改めて見つめ直すことができていて。

 

 

 

ふと今日は

 

 

家もあって、お庭もあって

 

車もあって

 

家族も健康で

 

美味しくご飯も食べられて

 

笑い合える時間もあって

 

一人で考え事をする時間もあれば

 

pcに向かう時間もある

 

 

 

見ようと思えばいくらでも

 

 

ある

 

ある

 

あるなぁ

 

 

と。

 

 

今ないものじゃなくて

 

これからなくなってしまうかもしれないもの、でもなくて

 

 

あったんだ、って

 

もうすでにたくさんあるし、あったし

 

与えられてきたんだなって

 

今も、与えられてるんだなって

 

そんなふうに思えたら

 

 

とても満ち満ち。

 

 

 

 

ないと思ってみればない

 

あると思ってみればある。

 

 

私は損をしてきたと思えば損が見え

 

私はたくさん得をしてきたんだと思えば得が見える

 

 

どっちを見てもいい

 

それが自由なら

 

 

ある方を、敢えてでも見て

 

満たされていきたいね。

 

 

あなたの目は、今どっちを見てるかな。