46年前、私は産まれました。
丸2日母のお腹に居座り、母を苦しめたそうです。
昔母から聞いた話。
母は一度流産したらしいです。
そして私が出来ました。
私は3才までの記憶が全てではないですが、かなりの事を覚えています。
3才までの私は母親の姿が見えないと不安になり泣く子供でした。
ある日、お昼寝から目が覚めると母親の姿が見えない。
とたんに泣き出しました。泣くとすぐ母親は飛んで来てあやしてくれていたので
その時もすぐ母親が飛んで来ると思っていました。
でも母の姿は無く、不安が募った私は火が付いたように泣き叫んでいました。
しばらくすると遠くから私の名前を呼ぶ母の声が。
私は泣きながら声を頼りに母の姿を探しました。
声はすれど姿は見えず…
声が段々近くなって来る。
必死で母の姿を探す3才の私。
部屋の中をあっちにこっちに。
ようやく声は外からと解った私は窓の下を覗きました。
すると眼下に母の姿が!安心感と、今での不安感がマックスに達したのでしょう。
より火が付いたように泣く私。
お昼寝の間に買い物に行ってた母は遠くから泣く我が子の泣き声を聞き
少しでも安心するようにと私の名前を呼びながら走って来てたようでした。
母が慌ててアパートの2階にかけ上がり私を抱き上げ
安心した私。記憶はそこまです。
母は寝るとき必ず私の手を握って
手を繋いだまま私が寝るまで添い寝をしてくれました。
母と手を繋がないと寝れない子だったらしいです。
母にベッタリだった私。
叱られた記憶よりも、毎晩繋いだ母の手の記憶の方が鮮明に残っています。
温かくて、安心して眠れたあの頃…
次は父です。
母に叱られると必ず父が抱き上げて、ママに怒られたんか?ヨシヨシ。と
庇ってくれていました。
そう言えば・・・ウチはどちらかが叱るとどちらかが必ず庇ってくれていたな・・・
煙草を吸うあぐらをかいた父の膝にいつまでもちょこんと座っていたら
スリスリしてくる父の髭がチクチクしたのを今でも覚えています。
あのチクチク感、実は大人になった今でもキライじゃないです。
ぐずると車に乗せドライブに連れて行ってくれた父。
車に乗るとものの数分で寝る子だったとか。
だからか、今でも車に乗ると直ぐ眠くなります。
高校を卒業し、大阪に来てから私はピアスを開けました。
その年の夏、実家に帰省した際、ピアスを開けた事を知った父に
怒られるかと覚悟していましたが、大事な身体に傷をつけて・・と
悲しそうな顔をした父。
社会人になった私がある事で辛い想いをし
初めて泣きながら実家の母に電話をした時、理由を言わずにただ泣く私
後から電話をかけ直して来た父が 『大丈夫か?一人で乗り越えられるか?』
と理由は聞かずにいてくれた父
『辛かったらいつでも帰って来い』 の言葉に意地っ張りな私は
泣きながら 『大丈夫』 とだけ。
遠い記憶、感覚として残る母の手 父の匂い
愛されて愛されて愛されて。
私、間違いなく愛されていたんだ…
そんな事を何の前触れも無く不意に思い出したある日の夜。
何やかんや言うても、三つ子の魂百までも
その記憶があるから、私は今まで支えられて来たんだと思います。
オイオイ泣いた、そんな夜でした。
そして今も涙腺緩んでます。
思い出した記憶、忘れないようにここに記しておきます。
普段はインテリアスタイリスト
休日はカラー&タロットリーダーの与思恵でした。