ありがとうございます。
レイキティーチャー
COCOIRO 白石庸子です。


人間関係の悩みがあって
誰かに相談するとき、



状況を説明する話が、

「○○さんが、こんなことをした」
「○○さんから、こんなこと言われた」

と、

主語が、
自分でなく、
誰かの名前になっていませんか?



たまに
自分が主語になるときは、

「わたしはこんなにも辛い思いをしている」
「わたしはいつも困ってばかりいる」

と、
そこは自分の感情で。



自分がしたこと、
自分が言ったこと、
自分の行為が抜け落ちてはいませんか?



子どもがケンカしたときのことを
思い出してみてね。

「○○くんが、ぼくを殴ったぁ〜」
と、泣く△△くん。

「僕は、なにもしていないのに〜」
と、訴えます。

でもよくよく聞くと、

殴られる前に、
△△くんは
○○くんに
意地悪なことを言っていた…

なんて、よくあることです。




人間関係の悩みがあるときって、
その根っこにある感情は、

「わたしは、悪くない!」です。


「わたしは被害者」です。
「可哀想なひと」なんです。


「悪いのは、相手なんです」


と、必死で訴えています。




そう。
自分を、
必死で守っているのですね。



誰かを悪者にすることで
得られるものは…なんだろう?

自分の正義?
自分の価値?


自分が被害者になることで
得られるものは…なんだろう?

誰かのやさしさ?
誰かの庇護?
誰かが与えてくれる…なにか?


それは
あなたが
幼い頃から
求めていたものかもしれない…



自分で自分のことを
守らなくてはならなかった
幼い頃の事情が
あなたにはあるのかもしれない…



これまで
ずっと
こうやって
必死で自分を
守ってきたのかもしれない。


ずっと
ひとりで
がんばってきたのかもしれない。




疲れるでしょう?
しんどくないですか?
大丈夫かな?




必死で守っているようで、
実は一番傷ついていたのは、
あなた自身かもしれない…




もう傷つけるのは
やめませんか?



あなたは
かけがえのない
大切なひと。

あなたは
傷つけられては
いけないひと。  


だから


「悪者」を作るのは
もうやめよう。


あなたを傷つけるひとは
もういない。




過去の傷がうずいたら、
手当てをしてあげてね。


そっと
やさしく


傷ついたからだをいたわって。




それから、


主語を「わたし」にして
もう一度、
状況の説明をしてみて。



どんな世界になったかな?








いつもありがとう。
靈氣とともに。
天意とともに。