何事もバランスが大事だ。

 

自分の内観が、どう現実を変えるか知りたいと思い、

内観によって何かが解消されたタイミングで、

こうしてみようかな、と、思ったことが功を奏し、

現実が変化するのを実感した。

 

となると、もっとそういう体験をしたいと思う。

 

となると、スピリチュアルの集まりで、

自分が求めるのは、現実変化の体験談である。

 

体験談を聞き、自分を鼓舞したいと願う。

もっと現実変化を体験したいと。

 

でも、その集まりで、目にする言葉は、

観念の世界、考え方をどう持つかという話。

 

知識として、知ることは大切だ。

知識がなければ、気付きも少ない。

 

だけど、私が聞きたいのは、

 

天からのメッセージを受け取ったとか、

柔らかい光に包まれたとか、

宇宙の意思を感じて生活したいとか、

そんな抽象的なことではなく、

 

天からのメッセージで、現実がどう変わったの?

柔らかい光の中で、何か現実が変化した?

宇宙の意思を感じて生活したら、どう変わった?

っていう、具体的な話だ。

 

ジレンマである。

自分の求めるものが、参加者の中にないと感じると、

非常に、居心地が悪い。

参加者を否定したくなる感情もでてくる。

 

この感情を内観したとき、

私がこれまで、グループが苦手だったという理由がわかった。

 

 自分の求めるものが、参加者の中にない

   →自分の発言に、賛同を得られない

   →自分はまだまだダメなんだと感じる

 自分の求めていないものが、参加者の大勢である

   →求めていないものが賛同を得られる

   →ジェラシー? 自分が否定された気分になる

 

自分の求めるもの=参加者(相手)の求めるもの

 それが、良いのだという思い込みだ。

 共感者がたくさんいれば、それだけ自我も満足する。

 

宇宙の法則からいうと、

現実化したいという想いが強すぎると、

現実化していないものばかり目につく。

 これが、参加者の観念論が目につくという点…。

 

バランスだなぁ。

 

そしてもう一つ。

 

現実変化を体験したいという想いは、

現時点で、自分は、

現実変化できていないと宣言しているようなものだ。

 

想いを変えて、

自分は、すでに現実変化している!と宣言してみる。

 

清々しい。(笑)

観念論も気にならなくなった。

 

気にならないというか、

それはそれ、これはこれって感じだ。

自分の尺に相手を取り込む必要が無くなった。

 

思いの強さは、大事だが、

強すぎるのも…ちょっとね。。にっこり