はじめまして^^

 

『ツヤ心育成ラボ~自分を愛し愛される心を育む~』
 

心の薬剤師 松本佳子(よしこ)です。



* * * * * *
私は東京の下町生まれ下町育ち。
三姉妹の末っ子として育てられました。

両親は共に薬剤師で薬局を経営しており、
休みは盆と正月だけ。
忙しいのが当たり前の毎日。

その環境で育った私は
「働かざる者食うべからず」

という感覚が身に付き

手に職をつけようと
薬剤師の道に進みました。

薬剤師として

製薬会社、調剤薬局、漢方薬局と勤め
28歳で夫と結婚。
順風満帆な人生だったと思います。

ところが出産を機に、
私の人生に激動の時代がやってきました。


* * * * *

生まれてきた長男は
目のクリっとした
黒髪フサフサの可愛い赤ちゃんでした。

夫は可愛い可愛いと
ベタ褒めです。

私も本当に可愛いとは思っていましたが、
何とも言いがたい違和感、
全く通じない感がありました。

初めての子どもなのだから、
育児初心者

母親初心者
分からなくて当然。

なんとか自分の気持ちをごまかしながら、
良き母として愛さなくては!
と努力し、日々奮闘していました。

母子手帳も私を苦しめました。

恐ろしいくらい
手帳に書いてある発達に到達していかない。

これは、
私の愛情が足りないからか!?

そんなワードが
私の心にジワジワと浸透していく。

母親として重圧。
そして、

愛し切れていないという不安。

そんな生活が続く中、
次男が長男と2歳違いで生まれます。

この時、
長男に感じていた違和感は確信に変わりました。

「やっぱり、この子(長男)、普通じゃない!」


次男と比べ発達の偏りが強かった長男は、
3歳で「アスペルガー症候群」
という診断がつきました。


アスペルガー症候群とは、
発達障害の一つで、

現在は自閉症スペクトラム症と呼ばれています。


コミュニケーションや、
興味関心に偏りがあるため、
周りから理解されにくかったり、
集団に馴染めないということが起こります。


診断のおかげで
私の愛情不足のせいではないと
一瞬、ホッとすることはできました。

でも それもつかの間。
深い心に眠る不安や恐怖は消えることはありませんでした。


その当時、

私の1番の困り事は、
長男のこだわりでした。

例えば、
食事の皿は彼の前には置けません。

なぜなら、
食べることより、
皿を回したくて仕方ないのです。

具が入った皿を回されたら
全てが飛び散る >_<

回すことも好きなら
回るものも大好き。

換気扇や室外機など
回る羽を見つければ、
確認せずにはいられない。

止めようものならパニックです。


何をやるにも時間がかかり、
1日24時間いや、
48時間あったって足りっこない!
という状態に。

次男の世話もしながら、
長男を制御しつづけなければならない。
私の心はどんどんすさんでいきました。


ある日、
化粧っ気のまるでない疲れ切った私を見て、
母と姉が言いました。

「お化粧ぐらいしたら?
せめて、眉を描くとか、
口紅ぐらい…。」

そのアドバイスが
私にはたまらなく攻撃に感じたのです。

自分のおしゃれに向かうエネルギー全てを
家事と育児に向けて一生懸命やっている私に
なんてことを言うの?!

こんな頑張っている私に、
まだ他にやれって言うの?!

たかが、
眉と口紅つけたら?
と言っただけで、
そこまで母と姉を恨むのですから、
私の方がよっぽど攻撃的(大汗)。

側からみたら
あまりにもひどい顔つきだったのでしょうね。


その頃は、
眠れないのは当たり前。

朝起きた瞬間から、
身体はぐったり疲れていて、

「あぁ〜
また朝が来てしまった。
もういっそ、
私という存在を無くしてしまいたい。
魔法で私を消せたらどんなに楽だろう…」

と感じる日々。

子供たちには感情的に怒ってしまい
罪悪感にさいなまれる毎日。

そう、私は鬱(うつ)になっていたのです。


そんな私に、周りの人はこう言いました。

「子どもに寄り添いましょう。」

「お母さん、
頑張り過ぎなくて大丈夫。」と。


私はいつも思っていました。

「寄り添うって何?
どうしようもないこだわりに付き合えっていうの?」

「頑張り過ぎないってどういうこと?
子どもの好き勝手にやらせとけっていうの?」

周りの人の優しさからくる言葉に、
心の中でいちいち反論する私。


もう、限界でした。

そんなある日、
ついに私のピーンと張りつめた糸が切れました。

長男を物凄く叱ったと同時に、
今まで経験したこのない
憎しみの感情が湧いてきたのです。

「あんたなんか大っ嫌い!!」

そして、思いっきりこぶしを振り上げ、
それをふり降ろす一歩手前で、
その手は、
長男をリビングのドアの外へ
力一杯押し出していました。

「こっちに来ちゃダメー!!
絶対入っちゃダメー!!」

泣き叫ぶ私がいました。

ドアの向こうでは、
もちろん長男も泣いています。

「お母ちゃん、ごめんなちゃい。入れてよ~」

一枚のドアをはさんで、
私たちは泣き続けました。

あの時もし、
こぶしを振り下ろしていたら…
このドアがなかったら、
きっと大変なことをしてしまう…

私は自分の恐ろしさに
体の震えが止まりませんでした。

私の中の悪魔を垣間見てしまったのです。
。。。
。。。
。。。
どれくらいの時間がたったのでしょう。
やっと落ち着いた私は、
そっとドアを開けて、
泣いている長男を抱きしめました。

「ごめんね。ごめんね。
お母さん、ひどいね。
ひどいお母さんだよね。
でも、
『あんたなんか大っ嫌い』って言ったとしても、
本当は、絶対、絶対大好きだから!!
どんなにひどいことを言ったとしても、
だれよりも一番、お母さん、
大好きだから。」


私は、
私の中の悪魔と出会ったことをきっかけに、

息子が発達障害であることが問題なんじゃない。

問題は自分の中にある
と思うようになりました。

自分と向き合う覚悟ができたのだと思います。


* * * * * *

私は心理(真理)を学び始めます。

少しずつ
自分の中の悪魔を
受け入れていく作業でもありました。


正直、
辛く厳しく感じたこともあります。


しかし、
深い傷を作った怒り、
私に悪魔を宿らせた怒りが
どれほどパワフルなものか
そして、
どれほど価値のあるものかを
知っていく作業でもありました。


怒り = 悪

ではなく、

怒りパワー = 創造エネルギー


この怒りのエネルギーを
怒りとしてでなく、
人生創造に使えたら最高!!

と思うようになっていったのです。

そして何より愛の定義が変わりました。

"好き"という感情だけが愛でないことを知りました。


愛とは海のように深く、
時に荒々しく恐ろしく、
また宇宙のように無限に広がる可能性があることを、
この身をもって日々体験させてもらっています。


私に人生の転機をもたらしてくれたのは息子たちです。


思い通りにならない長男との関係を
夫や両親や行政などの

他者に埋めて欲しいと思っていた時は
いつも満たされない想いでいっぱいでした。


誰も私の想いを理解してくれない……と。

でも、自分に向き合う過程の中で
自分で自分の心を満たすことができる!

と頭でなく体感として分かってきたのです。

それは今現在も進行中。
 

「他人と過去は変えられない」とよく言われますが、

私が変わると他人だけでなく

過去すらも変わる。

 

息子も大きく変わりました。
発達障害である自分と向き合い、

現在は就職し、
社会の中で自分の役割を果たしています。


自分で自分を満たせるようになると
本当は周りの人から

たくさんの愛をもらっていたことに気づけます。

それは、
実はずーっと前から
あったのだということ。

それに気づかず、
受け取れるだけの器を
自分が持ち合わせていなかったのだということ。

器は自分で変えることができるということ。

沢山の”愛”を受け取れる自分になれるということ。


そうなったとき、私の人生は変わりました。


現在は、薬剤師としての仕事を続けながら、
心の薬剤師(心理カウンセラー)として

多くの方の満たされない思いを
溢れる愛で満たす方法をお伝えしております。