生きて行く上での基準、
あなたなりのルール、ありますか?
 
こんにちは^_^
心の処方箋カウンセラー佳子(よしこ)です。
 
 
シェアビズblossomのイベント
路上バケツドラマー MASAさんの生き方を聴いて参りました。
 
 
彼の哲学に、私はうなずくばかり。
共感できるものが沢山ありました。
 
 
沢山の言葉の中で今の私に響いた言葉
それが
「人としてのルールを守る」
 
これは、私が息子たちに伝えていきたいことだから。
でも、これまでピッタリの言葉を見つけてこられなかったのです。
 
 
 
世の中には沢山のルールがあります。
 
それを全て完全に守り続けること、出来ますか?
 
私には出来ません。
でも、人として、
最低のルールやマナーは守ろうと心がけているつもりです。
 
 
ただ、この 「人として」 というところの定義は人それぞれ。
 
 
MASAさんの場合、
路上でライブすること自体がルール違反。
 
でも、
バケツや、配管パイプで演奏する姿、
力強くこみ上げてくるリズム、
そのパワーに魂が揺さぶられる人は多いはず。
 
 
何もないところから、
ゼロからでも人に響くものを届けられる。
 
ルール違反だからと片付けてはもったいない !!
 
 
彼も法をかいくぐって、
いつまでも路上にいるつもりはないと言います。
 
今では、ライブハウス、保育園、老人施設、ラジオ放送、TV出演、大忙しです。
 
 
そういう、プラスのパワーを出す活動には、
少しゆるやかでもいいのかなと思うのです。
 
 
私事になりますが、
私は、ゆるやかより、硬めです。
 
だから、
アスペルガー症候群(自閉症スペクトラムの一つ)の長男の子育ては、
それはそれは大変でした ^^;
 
自閉症の特徴である 「こだわり」 に手を焼きました。
 
私からすれば、
彼のこだわりは、
子どもとはいえ、
子どもなりの 「人として」 があまりにも無いように見えました。
 
私の思う 「人として」 は通用しないのです。
 
そうですよね。
私の中の定義を押し付けるの無理ですね。
 
 
彼と関わる中、
私も色んな意味で変わってきました。
 
 
最近、
彼は彼で
体験を重ねるごとに、
私の伝えたい意味が分かってきたようです。
 
 
そこで、今回いただいた
「人としてのルールを守る」
を伝えてみたのです。
 
すると、
「“人として” というのが難しいね」
と返してきました。
 
ホントそうですね。
 
その作業こそが、自分軸を作っていくのです。
成長するってことだと思います。
 
 
小学生の頃、
音に敏感な彼は、
合唱の時、
歌うどころか耳をふさぎました。
 
クラスメートからは、
一緒に歌わず耳をふさぐとは何事だ!!
ととがめられました。
 
彼には、お友達のバラバラな音がうるさいと感じたようでした。
 
 
私は、耳栓は渡さず、
うるさいくらい子どもの声が飛び交う放課後施設に通わせました。
 
すると、音に慣れたのか、あきらめたのか!?
耳ふさぎの必要はなくなりました。
 
でも、一緒に歌うことはありませんでした。
 
「口パクでもいいから、歌ったフリしたら」
と、提案してみました。
そのうち歌がでちゃうかも…
 
 
2年生ぐらいから
小さく口を動かすようになりました。
 
3年生には
立派に学芸会をやり遂げました。
 
 
集団行動は、
たった1人の乱れが、
みんなの乱れになる。
 
これを理解してもらうのは
なかなか大変でした。
 
それでも、
変なヤツといじめられたり、
応援してくれる先生に出会ったり、
彼なりに習得していったようです。
 
 
 
先日、
高校の卒業式に在校生として出席した彼、
正しいおじぎではなかったと気分を害して帰ってきました。
 
前の学校で丁寧なおじぎの仕方を教わった彼は、
卒業式なのに違ったというのです。
 
学校によって若干(じゃっかん)違いはあるでしょう。
 
でも、正しいおじぎは
社会にでても通用するものだと教わったのに、
それを教えないのは間違っている!
 
そうかもしれません。
彼の言い分、
よくわかります。
 
 
そこで、想像してもらいました。
 
「いくら丁寧にゆっくりおじぎしても、式の中で1人だけ、みんなとズレていたらどう?」
 
卒業生を見送るおめでたい場
 
送り出す気持ちを感じることなく、
みんなとズレてでもこだわる必要があることなの?
 
集団に全てを合わせる必要もないけれど、
その “こだわり” 今必要? 
 
その "こだわる力" どこに使う?
 
より良い式にするために提案はありだよね。
 
こんな会話ができるようになるとは、
昔は想像もつきませんでした。
 
結果、彼がどのような選択をするかはわかりません。
また、今の選択と、未来の選択は違ってくるかもしれません。
 
 
「人としてどうか?」
 
その定義は人それぞれですが、
自分だけが良しだけの選択は、
私は心地よくありません。
 
 
「人としてどうか?」を子どもに伝えたい?
 
いえ、この言葉は自分自身に問うているのだと、
今回のお話で改めて気づかされました。
 
 
本日の心の処方箋
 
「人としての選択」
「自分の人生、どこにこだわる?」
 
その選択の積み重ねが
「自分に目覚める選択」 になっていいく。
 
 
blossomオーナー英子さん、MASAさん
ありがとう!!
 
 
※「自分に目覚める選択」第二弾が4月16日にもあるようです。
 渋谷シェアビズblossomをチェックしてね! 
 他にも楽しそうなイベント盛りだくさんですよ^^