こんにちは^^

心の処方箋カウンセラー佳子(よしこ)です。

今月11日はお誕生日でした。
そんな日に、遺言講演会という奇妙な名の講演会?!
生まれた日に遺言?!
はい。
全く奇妙でした。
でも、無事、終えることができました^^
ほっとしました。

よく、自分の強みを発見するセミナーがあったりしますが、
この講演会こそ、それを見つけるのにピッタリです!

「明日、死ぬとしたら?」という視点で自分を見つめ直すと、どうしたって過去を洗い出します。
おかげさまで、幼い頃から今までを思い出し、人生の転機に改めて気付かされました。

人が聞けば大したことない転機。
でも、そんなことどうでもよくなってきます。
だってどうせ「明日、死ぬんだから」

よく頑張って乗り越えてきたな…と自分で自分を褒めてやりたくなります。
だってどうせ「明日、死ぬんだから」

乗り越えさせてくれた当時の環境や、ムカついていた人にすら、感謝の念が湧いてきます。
「ありがとう」と言いたくなってきます。
だってどうせ「明日、死ぬんだから」

そんな時ふと、水前寺清子さんの歌う 「365歩のマーチ」 を思い出しました。

この歌は、息子たちが小さい頃、私がよく口ずさんでいた歌です。

空回りのように感じていた子育て
それでも、毎日繰り返す日々。

私のようなひどい母親は、いないほうがましだと自分を責める毎日
それでも、最後の最後、少しでも元気を取り戻したいと歌った歌

一番の歌詞後半に
「あなたのつけた足跡にゃ きれいな花が咲くでしょう」
とあるのですが、この歌を歌うことで、信じようとしていました。
今は、イバラの道に思えたとしても、振り返ればきっときれいな花が咲いているのよ!と。

やっぱりそうです。
今回振り返ってみて、本当にきれいな花が咲いていました。
どれも、今の私を作ってきた大切な過程です。

365歩のマーチの2番、3番も、とても奥が深く、講演会の最後の最後に、これを歌おうと!決めました。

歌がうまいわけでもないのにね^^;
恥を覚悟で歌うのです。
だってどうせ「明日、死ぬんだから」

過去を振り返り、講演会の構成を考えながら、何度、このフレーズを心の中で叫んだことか!
どうせ明日、死ぬのなら、言いたいこと言ってこよう!
そう思って今回の講演会に臨みました。



そうは言っても、実は、とても気にかかることがあったのです。

長男が聞きたいと言い出したのです。

「ダメ」といってもよかったのに。
本当は、聞かせたくないのです。
だって、本当は怖いから。

次男を生んだ時に感じた親子の繋がり感、長男の時には感じなかったこと。
次男との違いが、病院受診のきっかけになったこと(アスペルガー症候群の診断受ける)。
長男のひどいこだわりに振り回される毎日。
通じあえないと感じる日々。
そこから私がノイローゼになっていった話。
長男を本気で殺したくなる衝動にかられた話 などなど

思春期という難しい時期の彼が聞いたらどう思うのだろう…

正直、そんな不安が胸いっぱいに広がりました。
でも、それと同時に私の心に響いた言葉
「どうせ明日、死ぬのだから」

本来、遺言とは家族に残すものです。
だとしたら、聞きたいという家族に聞かせないほうがおかしいというもの。

私は、「いいよ」と答えました。
「ただし、覚悟しといてね、ウソのない話だから。」とも。

そして迎えた当日。
長男だけでなく、次男も夫も聞きにきてくれました。

決して泣くものかと思っていたのに
辛かった日々を語り始めると、幼い息子たちの顔が浮かんでくるのです。
もう、涙を抑えることができません。

話そうと考え、箇条書きにしていた項目はすっかり無視。
その時、その時の本気の想いが口をついて出てきます。

そして、最後、「365歩のマーチ」をアカペラで3番まで歌い切り無事終了。

お聞き苦しい歌を 皆様、最後までお付き合いくださいました。
しかも、暖かい手拍子付きで。
この場をお借りし、心からお礼申し上げます。

会の締めくくりには家族が感想を言ってくれました。

長男は、自分の考えを急に振られるとこたえられないタイプです。
それでも、「NO」と拒否することなく、一応マイクをもって考えてくれました。
でも実際、なかなかこたえられません。
そしてなんとか出てきたことばが
「僕は、この歌(365歩のマーチ)が好きです。」でした。

次男は、「僕の知らないお母さんのお話が聞けて良かった」と。
夫は、「そんな思いをしていたとは知らなかった」と。

家族とは近すぎて見えないものです。
いちいち、言わないことは結構あります。
家族だからこそ、一番大切だからこそ、心配かけたくないと思うのです。

このような機会がなければ、家族にわざわざ話すことなどなかったでしょう。
本当はやるのが嫌だったけど、終わってみればやってよかった!

遺言講演会、これは「死」という究極の状態を考えながら、未来につながる「生」を考えるワークでした。

寒く小雨の降る中、わざわざお越し下さった皆様、そして家族に心から感謝しています。
有名人でもない私の話なんぞ聞きにきてくれる仲間に出会えたこと、本当に嬉しいです!!


長男においては本当のところどう思ったのでしょう?
家に戻って改めて確認してみました。

すると「今は分かり合えているじゃん!」と明るくこたえてくれたのです。
ショックはあったけどねと。

この発言自体、本心なのか、私を気遣ってなのかは確認しようがありません。
どちらにしても、素晴らしい成長です。

やっぱり、イバラの道は、振り返ればきれいな花の道になっているってことです!


育児に限らずですが、様々ことがマニュアル化されている社会
わかりやすくなっている反面、その人となりがわかりにくくなっています。

特に育児はノウハウをうまく使って、スムースに進むことが大事なのではありません。
褒めてりゃいいってこともありません。
心配し、気にかけてあげていることだけがいいのでもありません。

どれが良いか悪いかで頭を悩ませるより
どれだけ本気で子どもと向き合っているかです。
実は、それは、どれだけ自分と本気で向き合っているかに繋がっているのです。


子どもはそこを感じ取っています。
表面的な言葉にはごまかされません。
その裏に隠れている、親の姿勢を無意識のうちにちゃんと感じ取っているのです。

子どもを産んだその瞬間から親になれるわけではありません。
育てる過程こそ、親として成長させてもらっているのです。

わがままな私にとって、子育てほど私を成長し続けさせてくれるものはありません。
「あ~神様、私に子どもを授けてくれてありがとうございます!」と心から言いたくなりました。

今回の遺言講演会の感想をとっても素敵に書いてくださった方がいます。
彼女は、私のとても信頼するカウンセラーさんです。


そして来月12月16日
これまた私の大好きな日本美術ナビゲーター真武裕さんの遺言講演会があります

お時間の許す方、一度是非、聞いてみてください!
私は、今からとっても楽しみです(^^♪