心の処方箋カウンセラー佳子(よしこ)です。
私は息子が二人いますが、1人が家にいないだけで、ずいぶん静かですね。
春休みの3日間、長男がテニス合宿に出かけておりました。
このテニス合宿、喜んで参加したと思います?
いやいやとんでもない。
運動音痴(おんち)な彼は、泣くなくの参加でした。
そもそも、テニスに限らず、スポーツなんて何ひとつやりたくないタイプなのですから。
そんな彼が、なぜテニス!?をやることになったかというと、友人がきっかけでした。
友人が、一緒にやらないかと誘ってくれたのです。
誘われたのは嬉しい。
でも、やるかやらないかは別問題。
いくら誘ってくれても、やりたくない…が本音。
ところが大変。
私に報告してしまったら最後
「それはいいね!!」
「中学生という時期は、人生の中でも、心も体も伸びる時期。
基礎体力、基礎学力が大事! 基礎固めに身体を使うことはとっても大切よ。」
ということで、嫌がる彼の心はどこへやら、テニススクールに入れられてしまいました。
すこし慣れ始めて1カ月。
春合宿の募集です。
抵抗に抵抗を重ねた彼でしたが、またまた抵抗のかいなく、ムリやり参加させられたのでした。
3日たち帰ってくると、予想通りの感想です。
「もう、二度と行きたくない。」
そりゃそうです。
嫌いなスポーツ合宿で、しかも、友人は1人きり。
もともと、アスペルガー症候群なので友人を作りにくいだけでなく、集団活動が大の苦手。
もう行きたくないでしょうね。
私は、何か嫌のことでも言われた?と聞いてみました。
「試合の時、ルールを全く知らないことや、点数を自分で数えていないことに文句を言われた。」と教えてくれました。
私は、それに対し
「そっか―、相手にとっては、驚きだったんだろうね。
合宿に参加している人は、みなテニスが上手になりたくて来ているんだもんね。
あなたのように、行きたくないのに、行かされた訳ではないからね。」
長男
「そうだねー。お母さんに無理やり行かされているのは僕ぐらいだよねー。」
私
「ホント、かわいそうだねー。とんでもないお母さんを持って!」
「ところで、どんなにつまらなくても、テニス自体はうまくなった?」
長男
「なったよ!」
私
「へ~、凄いじゃーん!!」
長男
「でも、次は行きたくないんだよ。別にテニス好きじゃないもん。」
なんて、言葉だけを見ると、ネガティブ系ですよね。
明るい会話なんて、想像できないかもしれません。
ところが、ところが、決して暗くないんです。 明るいのです。
そのノリで、こんなことも言ってました。
「そういえば、あいつ、レッスン曜日変わるだって。」
私
「そっか―、そりゃ残念だ。 ところで、あなたはどうする? ○○くんと同じ曜日にする?」
長男
「僕も変えたいな。でも、もうそのクラス一杯らしい。」
私
「じゃあ、そのクラス入れなかったらどうする?」
長男
「そしたら仕方ないよ。 今のクラスで。」
私、思わず聞き返してしまいましたよ。
「えっ!? 今のままのクラスに通うってこと?」
長男
「だって、しかたないじゃん。」
さっきまで、「もう二度と参加したくない」 と言っていた合宿。
嫌いと言っていたテニス。
なのに、レッスンは続けるつもりのようです^^。
私、彼の成長をものすご~く感じましたよ。
どんなに口で、嫌だいやだと言ったって、そう言ってばかりはいられないかも…という気持ちが確かに芽生えているのです。
やりたくもなかったテニスを始めたのは、友人のおかげでした。
嫌いなテニスも、その子に会えるから行っていたのです。
だから、友人がクラスを変え、会えなくなったら、「止めたい」と言うに違いないと思っていました。
なのに、止めたいと言わない。
友人の成長に感化されたのかもしれません。
もしくは、私に「やめたい」と言っても無駄だと思ったのかもしれません。
それでもなんでも、「しかたないけどやる。」を選んでいるんだな~と感心するばかり。
私は、これまで、集団活動が苦手な長男に、すこしでも集団生活を慣れさせようと、発達障害児のための合宿や、彼のことをよく知っている学童の合宿にしか、参加させたことがありませんでした。
今回は、苦手なスポーツで、しかも彼のことを知る人はほとんどいない合宿。
初の試みでした。
なぜ、そんなに嫌がるのに行かせるのか?
私は、彼に、常に言ってきたことがあります。
「人と違ったところは才能になる」と。
「でも、それにはルールがあって、ただ自分勝手に好きな事だけしていればいいのではない。
それは、周りから見たら、才能というより、ただのわがまま。
大抵の人が当たり前にやっていることをまず知ること。
そして、実際やってみて、みなの当たり前と、自分との違いをよく感じてきて。
悲しいとか、悔しいとかの気持ちもね。
その違いを知るのに、集団活動はとても大切な場。
違いをどう生かしていくか、どう頑張れるかは、自分だけの世界に閉じこもっている限りわからないから。
義務教育という期間は、特にそういう場だとお母さんは考えているの。
だから、あなたが嫌だといっても、そういう環境を与えます!」
これを伝えているから、「僕だけかもよ、無理やり行かされたのは」というような恨みつらみを言われたってヘッチャラです。
今の長男に、この言葉がどう伝わっているかもわかりません。
でも、心のどこかに積み重なっているのかなと思うのです。
だから、テニスをやめると言わなかったのかなと思うのです。
親の信念と子どもの信念は違うでしょう。
押しつけられたと思われるかもしれません。
それでも私は構わない。
「テニス嫌い。合宿なんて、おもしろくない。」 という感情をわかってあげることは、「じゃあ、あなたの望む通りにしてあげるよ。」ということではないと私は考えています。
親との価値感の違いも感じ
「僕はそんなやり方はしない!」 と決めてくれるのも結構。
「言いたいことは言いなさい。 聞いてあげるよ。
ただし、それをするかしないかは別問題。
自分の思い通りにしたいなら、説得できるだけの状態をつくること。
または、どうしたら不自由な家を出て自由になれるかを考えよう!」とも言ってます。
発達障害という、人一倍遠回りする人生を生きてきたのにも必ず意味があるはずです。
その意味を見つける作業の中で、心の中に彼の柱ができあがってくるのでしょう。
私自身が、育児と向き合う中で、自分の柱ができあがってきています。
それぞれの柱。
感情に寄りそうとは、それぞれの柱を認め合うことなのかなと思うのです。
それが私の考えるサムライ道(どう)です。
今日もあなたの心に栄養がとどきますように^^

