モヤモヤからこんなんでましたシリーズ第三弾
ストレスで食事がとれなくなっている同僚に上司が言った言葉にイライラ!
今回ですねー。私掘り下げ失敗したんですよ。
モヤモヤしたまま。どーしようもなくててっちゃんにアドバイスいただきました。
そしたら出てきたのは
「ストレスで同じように拒食過食していたころの私」
これがまだ心の重りになって反応していたんです。
10年前ぐらいなのにまだいたんですね。。
わかってもらえない
私が悪いから私が泣いちゃいけない
でも苦しい。苦しいけど涙も止まらないけどそれでも毎日あの場所へいかなければいけない。
私が倒れたらあの子達はどうするの?
親御さんにはなんて言うの?
誰にも言えなくてつらくて苦しくて
みんなに迷惑かけている自分が情けなくて
立てなくなってどうしてわたしだけこんなにつらい思いをしているんだろう?
なんで私だけこんな目に合うんだろう。。
その時の自分に浸ったら
今の私に戻って
「もう大丈夫だよ。がんばらなくていいよ。怒っていいし泣いていい。私がいるから大丈夫」
と自分を抱きしめてあげること。
10年後の今の私には可愛い息子がいて毎日笑ってて、ステキなメンターもたくさんいて。
悩むこともあるけれど頼っていいって思える人たちがいるんだよ。
ひとりの人間として意見を持っていていいって教えてくれる同志に出会えたんだよ。
だから大丈夫。私は私でいて何も悪いことなんてない。私は何も持っていなくても輝きを取り戻せる素敵な子なんだよ。ちゃんと自分が自分で光っていることを魂で理解してる。だから死にたいより生きたいって思うし落ち込み切ったらぐーんと這い上がれる強さをもともと持ってる
だから私はここに生きているだけでそれでいいし十分価値がある
今日重りを一つ外しました。こんな風にあの頃の自分を少しずつ癒していきます。
さて、タイトルの無償の愛情 条件付きの愛情
こどもはね。愛がないと生きていけないのです
一人では生きていけないから
だから生きていくためにあげられるのは無償の愛だけ
どんなことを強いられても
どんな仕打ちを受けても
たとえ感情を殺しても 死ぬ目にあっても
全て受け入れる
それが子どもの無償の愛情
親の愛情は条件付きの愛情
「○○しなさい」
できたら褒めてあげる
「なんで○○できないの」
できたら抱きしめてあげる
「○○したらいいよ」
したらあなたの言うことを受け入れてあげる
どちらも愛情だけれども
自分のあたりまえを外して無償の愛情はどちらかは少しだけじっと関係を見てみると気がつくんですよね
血の繋がりはもちろんあればあった方がいいのかもしれない
でもそれより一番大事なのは
子どもと一緒にいる人が幸せなのか
笑顔でいるか
安心しているか
そこなんです
特にお母さん
やっぱりお母さんはこどもにとって特別だから
大人しくて手のかからない優しい娘さんが
お母さんが離婚して
最高の旦那さんと再婚したら
わがままで笑顔いっぱいで甘えん坊
毎日歌を歌う明るい娘さんになった
血のつながりはないけどどんどんパパに似ていく娘さん
やっとこどもとして生きていいんだって思えたんでしょうね
ママが幸せに笑ってくれて
がんばらなくても良い適当さ加減で
どんな娘さんの姿でもかわいいんだよって心から笑ってくれるパパができて
どれほど安心したか
どれほど嬉しかったか
子どもは全身で教えてくれます。
勿論全てが初めからそうではなかった部分もあった。でも毎日毎日自分の心やパートナーとの話し合いで地道に気づいていったからこその今でもあるでしょう。
それは血のつながりは云々ではなくパートナーシップで一番大事な部分だと私は思っています。
いろんな価値観があるしメディアでは不幸な事件が連日報道されています。
でもこんなステップアップファミリーがいること
そして子どもの幸せが自分たちの幸せと密に関係していることを知っていてほしいなと思います。
こどものためだから
子どもがいるから
そうして我慢していることは本当に子どものためですか?
○○のためは○○のせいにもなるんです。
自分の我慢
自分の不幸
自分の悲しみや苦しみ
無償の愛に甘えて子どものため 子どものせいにしないで
実は
それは全て私がしたくてしていること
なんです。
一見するとわかんないけど、よーく深ーく掘り下げていくと
何か自分にメリットがあったりします。
だってそもそも大人は全て自分で選択することができるんです
自分で決めて自由にできるんです
だからこどもの愛情にあまえないで
私は○○したくないから我慢している
私は○○だから今はやりたくない
そういう自分を受け入れられたら頼っていくこともできます。
何よりこどものせいにして自己嫌悪を抱くことも
子どもに悲しみや苦しみ怒りの責任をとらせることもない
私は、地球という星で人間として集団社会で生きて行くのに必要なことは条件付きの愛情を使うけれど、後は割と適当です。笑
自分の興味あることは学びにいくし、やっぱり息子のそばにいられない私は母親失格なんじゃと自己嫌悪に陥って泣くこともあるから、そうしたら本当に学びたい?って自問自答して今はやっぱり息子といたい!という思いが強い時はそちらを選ぶ
未熟なお母さんなんです私も。
でも未熟なままでいいのかもしれないって今は思っています。
だって人生も子育ても、本当に地球から去る時じゃなきゃ良かったかどうかわからないから
だから私と息子が一緒にいるときは笑顔の時間の割合がチョコッと上回るといいな。
そんな軽い感覚で泣いたら泣いた時間より1秒以上多く笑って一緒に過ごしたい。
私らしいやり方で子育ても自分育ても未熟なまま肩の力を抜いてやっていきたいなーって思いました。
ちなみに旦那募集中。笑
良いパートナーシップみるといいなーってなりますよね!
変なのはお断りだけどww