夜、家に帰って空を見上げたら
お月さまが光っていました
懐かしい秋の空気
月を眺めるだけで幸せな気分になり、
前にも味わったなぁと思います。
『誰かのために生きる』をやめると
急に時間が余って、
どうしていいかわからない時って
ありますよね。
アレしようがな?
コレしようかな?
って思うんだけど
カラダを動かすほどの情熱もなく
お金の使い道を考えると
急に制限を設け出して
近場でいっか
代用品で間に合わせよう
規模が小さくなったり
インスピレーションを消してしまったり
行動することを諦めがち。
お金ってアタマで帳尻が合うように
考えてしまうけど、
実は計算どおり帳尻が合ってる訳では
ないんです。
なんにも考えず手持ちの¥150円で
自販機の¥130のジュースを買ったら
おつりが¥20のはずなのに
更に¥350入っていた、
なんてことはありませんか?
前の人が¥500玉を入れて
¥150の飲み物を買い
おつりを取り忘れだんだな
と想像出来ますが
その瞬間だけ切り取ると
空間から現れたエネルギーになります。
お店などでおまけ等のサービスを
受けるのもそうです。
私たちはエネルギーを動かして
それに見合ったエネルギーを
受け取っているのです。
損得勘定の起こりにくい神社は
お賽銭を先に投げ入れるけど
私たちはその失った対価が現れなくても
神さまに怒ったりしません。
そのくらいおおらかに
お金というエネルギーを手放し
相手に期待しない
いつか戻ってくるだろう
この感覚を養うのが神社⛩なのだと
個人的には思います。
朝ごはん何食べよう
と内側に意識を向けた時の感覚を信じて
自分の為に叶えてあげて下さい。
通る道も心地よく感じるほうへ。
場の持つ雰囲気を感じて
素直に、偽らずに、感覚的に、
今日1日、なるべく遠くへ行き、
沢山お金やカラダを使って
過ごしてみましょう。