パルムドールを受賞した是枝裕和監督の
『万引き家族』を観てきました🎬
台風&お得な日と重なり
入場者の8割がお年寄りで
映画館はメチャ混みでした
※画像はお借りしました



〈あらすじ〉
万引きをすることによって生計を立てる人々。この家に住む老婆が亡くなった事により、保っていた生活のバランスが崩れていく。



〈感想〉
いつも同じ感想だけど、結局誰もが
そうしなければ生きられなかった
という事だと思います。【終】←早っ

 


誰もが被害者で、誰もが加害者。
誰もが善人なようで誰もが極悪人。




私の視点では
特に問題にするような出来事はなかったです。
涙は自然と出てきましたけどね



大人を先入観で見ない小さな子が
自分を可愛がってくれてると疑わず
母親を慕うシーンは切ないし、





それぞれが生きていく中で
叶わなかった状況が映画から伝わって来て







おばあちゃんは旦那さんと居たかった
おじさんは教育を受けたかったろうし
皆、お母さんに愛されたかった







妻(安藤サクラさん)が警察で
理解されないもどかしさをこらえ、
言葉にならず涙が溢れてしまうシーンは
私も貰い泣き。
言いたいことは山ほどあるけど、
理解されるはずもない。
余りにも世界は、人間は、人生は、
混沌とし過ぎているし。



T^T

それでも相手を許していく選択をすると
出ますよね、涙。



グチも言えないくらい追い詰められた
人間の気持ちがわからないクセに
偉そうに人を指導するような職業に就くな!



と言いたくなります。
創造や芸術と真反対の性質の人。キライ‼︎
(良くも悪くも『お決まりな人』ね







観てる人が引っかかりそうな所は多分、
(常識に囚われてる人が問題だと思いそうな所)


■おばあちゃんの年金をアテにしてる夫婦
■働かないオヤジ(役リリー・フランキー)
■虐待する母親、される子ども
■誘拐された子ども、血の繋がらない親
■夫を奪われた妻、奪った女性の子ども
■仮面家族
■過保護な親
■窃盗、殺人、誘拐、死体遺棄、結婚の形態
■保護する警察の人間の価値観、先入観
■報道するメディア
■子どもの居場所
■子どもを養う適任者とは
■親や教育は必要か?
■お金の役割
■高校生のバイト
■葬式や死の意味
■罪とは
・・etc等ですよね。



コメントの中には
『日本の恥だ!』と書いた人が居るみたいだけど、『恥』の文化を振りかざす親御さんは子育てには向いてませんよ。
恥ずかしい部分ほど、人間が生きてくのに必要な本質的な事ですからソコを否定したら『死ね』と言ってるのと同じです。






ルール、文化、習慣、常識、価値観、性癖、過去、思惑、欲、愛情、病・・





万引き家族は世の中のルールに縛られずに生きています。常識に縛られて生きてる人から見たら、怠惰で、堕落していて、貧しくて、みっともない、不快な、目を背けたくなる光景かもしれません。




だけど、




見ても何ともない人もいます。
自分の価値観で生きている人は、どう生きようと相手の選択だから『そのまま』ほっとくのです。
相手をコントロールしない人はほっとく。
相手にコントロールもされないから、自分にも影響はない。




もっと言うと、
本当に義務や責任や愛と言われているものを
身をもって実践した人は
『出来ない』と知っているから、
相手を正そうとかしないし
こうあるべきだとか思わない。




『嫌だな』と思った自分を受け止めたり
『気持ちを伝えとこう』と自分を尊重したり




その時々の感情は選択はします。
中立に捉えて、ふーんと思ってから
自分の思いを語る。





リリー・フランキーさんが演じるおじさんや
小さな女の子を虐待する母親を見ても


“この人も誰かの被害者なんだろうなぁ”と


切なくはなるものの、




“この血も涙もない悪党が!”




とか



“このナマケモノめが!働け!勉強しろ!”



とはならないです。本当に。






窃盗は悪いという概念を外す
血の繋がる家族が1番という概念を外す
毎日働くのがマトモという概念を外す
報道が真実を伝えてるという概念を外す
子どもに尽くすのが愛情という概念を外す




だから、我慢しないで生きている
おじさん(リリー・フランキーさん)や
妻(安藤サクラさん)は誰に何を言われても
淡々としてるし、気取らないし、
必要以上のものは背負わないし、
でも守りたいと思ったものには優しいし、
理解されない悲しみを内に秘めても、
相手に理解されようとか思ってないし
罪を背負っても、
自分で決めたことだからと
人を恨んだりしない。




ただ生きて、




周りの人に殺人犯だと言われ
周りの人に誘拐犯だと言われ
周りの人に子どもが産めないと言われ
周りの人に罪人として裁かれる




その人の価値を決めるのはその人自身なのに
周りのバラバラの価値観で裁かれる。




報道の人は
若い夫婦を被害者に仕立て上げ
でも小さな女の子にとって若い夫婦は
虐待をする加害者で





警察(保護した人々)は
殺人や誘拐をした人間が
子どもに愛情は注げないと決めつけ
子ども達が信じていた小さな希望すら
正しさによって歪めていく
精神的な加害者になってるし






うわべだけを繕っている家族は
子どもを過保護に育てて子離れせず
周りの価値観に振り回され
子どもの可能性や自由を奪い
真綿で首を絞めるように虐待をしている
火傷の跡とか目に見えるものだけが
虐待じゃない





■母親は子どもに愛情を注ぐべき←理想


■虐待し子どもを育てられない親もいる←現実


■子どもを産んでないと育てられない←先入観


■虐待されたから子どもの痛みがわかる←現実
(自分を冷静に分析してればだけど)





理想の社会や家庭や母親像にこだわって
心配や問題や常識を
次々と勝手に作り出し
自分に都合が悪いと相手を責め裁く
子どもの内面も世界も理解していない
鈍感で思い込みの激しい大人たち





『ありのまま』とか『混沌』って言葉が
浮かんでくる映画でした。



こうした映画を観た日には、
自分は限りある人生の中で
何を選んでいこうかなぁ?と
思い巡らせてしまいます