関東地方は梅雨まっ盛りあじさいかたつむり雨


平年より遅いスタートを切った梅雨。



不忍池畔に咲くあじさい


※2021年6月11日撮影


この日は、から梅雨の夏日。


虹色に輝くあじさいは、しとしと降る雨のなかでの観賞がいちばんですね。


雨でも心は晴れ女晴れ


デイジーでございます。


さっそく、本題に入ります。


江戸の鬼門除け・その1の続編。


「その1」が裏鬼門(南西)に対し、「その2」は鬼門(東北)についての紹介です。


アウトラインだけおさらいしてみましょう。


鬼門とは、陰陽道で邪悪な鬼が入る、万事に忌み嫌われた艮(うしとら)・東北の方角。


人々に不幸をもたらす鬼や悪魔は、鬼門(東北)から入りこみ、裏鬼門(南西)へ出ていかれます。


したがって、鬼門・裏鬼門は悪霊たちの急所とみなされます。


なので、この2つの方角をおろそかにしてはならず、しっかりと防御しなくてはなりません。


江戸(東京)の大プロジェクトを開発させる上で、初代将軍・徳川家康公は、陰陽師・天海僧正のアドバイスを受け、江戸城(現在の皇居)を拠点に、結界を張り、鬼門の方角に神仏をまつり、災難を避けようとします。


ひとつは、日本三大怨霊の一人として恐れられた平将門(たいらのまさかど)公を祀る千代田区外神田に鎮座する江戸総鎮守 神田神社(明神)。


当ホテルから徒歩15分ほどの距離になります。


神田神社については、またの機会に紹介したいと思います。


もう一つは、地図上でも分かる通り、江戸城からみて鬼門の方角は上野ゾーン。


その土地こそ、現在の上野恩賜公園全域が境内であった、


東叡山 寛永寺(とうえいざん かんえいじ)なのでした。


1.東叡山 寛永寺は江戸の鬼門除けのために開山


実は、現在ホテルココ・グラン上野不忍が立つ区域や上野駅も、江戸時代は寛永寺の敷地内であったとされます。


家康公の側近であった天海は、江戸城の北東に寛永寺を築き住職を務めました。


陰陽道(おんようどう)、風水についての研究は、かなり奥が深く、何冊もの専門書的な書籍になるほど。


デイジーのような、その分野の知識が皆無な素人には、とうてい語りつくせるものではありません。


知ったかぶり女にはなりたくないので、小難しい解説は省略パー


なので、以前は広大な寛永寺境内とされた上野公園に鎮座する、天海僧正の命によって創建された寺院を画像とともに紹介したいと思います。


※以下の内容は、「天台宗別格大本山 東叡山 寛永寺」文献の一部から抜粋し要約したもの。


東叡山寛永寺は、寛永2年(1625)に、幕府と万民の平安・安泰を祈る祈願寺として、徳川家康公の側近であった、慈眼大師天海大僧正(じげんだいしてんかいだいそうじょう)によって創健されたことは前述したとおり。


山号は「東の比叡山」を意味し、寺号は寛永年間に創健されたことによります。


江戸時代の寛永寺は格式と規模において我が国屈指の大寺院だったとか。


徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり 徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠っています。


幕末の上野戦争で被災し、敷地の大部分は明治初期に上野公園となりましたが、伝統を守りながらも多くの人々に親しまれ今日にいたっています。



根本中堂


元禄11年(1698)に建立された当初の根本中堂(こんぽんちゅうどう)は、慶応4年(1868)、上野戦争の際に焼失。


現在の根本中堂は明治12年に、間口十間の本堂として再建。


天台宗を開かれた伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう)さまが自ら彫られたと伝えられる、秘仏ご本尊の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、国の重要文化財に指定されています。


デイジーが訪問した日は、修学旅行生が本堂にて住職さんのお話に聞き入っていました。


内部の写真撮影は禁止なので、外観しか紹介できませんが、社寺幕には正面一面きらびやかな江戸幕府のシンボル「葵の紋」づくめ。


お堂の中にはたくさんの金ピカの仏様がいらっしゃいました。


その豪華絢爛ぶりには、目を見張るばかり。


一瞬、ここが上野ではなく、京都の仏閣にいるような錯覚に。



根本中堂で納めた、「名香」&「天海さま」


奥ゆかしい沈香をベースにした「東叡香」は、身心をなだめてくれる落ち着きある香り。


浅草寺のオリジナル線香にも共通した匂いがします。


天海さまのマンガは寛永寺で発行された子ども向け書籍。


デイジーにとっては、天下を治めた家康さまより、サポート役の天海さまにキョーミあり。


表紙のイラストには、ほのぼのとさせられます男の子女の子しっぽフリフリ



開山堂(両大師)


開山堂(かいざんどう)は、天海大僧正を東叡山の開山としてお祀りしているお堂です。


また天海大僧正が尊崇していた慈恵大師良源大僧正(じえだいしりょうげんだいそうじょう)もお祀りしていることから、一般に「両大師(りょうだいし)」と呼ばれています。


創建は正保元年(1644)、現在のお堂は平成5年の再建。


境内には一本の枝に一重と八重の花が同時に咲く「御車返し(みくるまがえし)」の桜の古木があり、夏には古代蓮(大賀ハス)が見事な花を咲かせ参拝者を楽しませています。


ハスの季節は不忍池だけにとどまらず、開山堂まで足を運ばれてみるのもいいでしょう。


また、天海さまが108歳の長寿をまっとうしたことから「健康長寿」「病気平癒」にもご利益があるんだとか。


※画像は2019年10月25日撮影



清水観音堂


※右画像:《名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池》歌川広重 1856年
左画像:2018年3月「うえの桜まつり」期間にて撮影


清水観音堂(きよみずかんのんどう)は当初、寛永8年(1631)に天海大僧正により摺鉢山上に建立され、元禄7年(1694)頃現在の地(桜ヶ丘)に移築されました。


京都の東山清水寺を見立てた舞台造りのお堂で、国の重要文化財に指定されています。


秘仏ご本尊の千手観世音菩薩は、平安時代の比叡山の高僧・恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられています。


画中に見える、枝がまぁるく曲がった松は現存。


松の木は500年~1000年の寿命といわれていますが、この形を維持するのは、本当に大変だったかと思われます。


今でも上野はお花見の名所ですが、江戸の人々も上野で桜を楽しんだ様子がうかがえます。



3つの御朱印


右:清水観音堂
中:開山堂(両大師)
左:根本中堂


これまで、神社派のデイジーは、お寺の御朱印はパスしてきました。


以前、上野 徳大寺を訪問したことをきっかけに、お寺用の御朱印張も調達してみたのです。


まだまだ中身はスカスカです(^^♪



不忍池に浮かぶ弁天堂


※2020年7月31日撮影


当ホテルの対岸に鎮座する不忍池辨天堂。


季節、天候を問わず、夜間にライトアップされる光景は幽玄な美へといざなってくれます。


いまやスタッフたちにとって、弁天堂は守り神のような存在。


天海大僧正が水谷伊勢守勝隆(みずのやいせのかみかつたか)の支援を得て、比叡山麓の琵琶湖の竹生島(ちくぶじま)になぞらえて寛永年間に不忍池に中之島を築き、その地に建立。


ご本尊の八臂大辨財天(はっぴだいべんざいてん)もまた、竹生島の宝厳寺から勧請したとのこと。


竹生島に見立てたため、当初は橋がなく、参拝者はお金を払って、渡し舟を利用していた模様。


江戸庶民の参詣が増えたため、寛文年間(1661年~1672年)には石橋を架橋して現在にいたります。


不忍池を日本最大の面積を誇る琵琶湖、弁天堂を竹生島として眺めてみると感慨深いものを感じます。


とはいえ、広大な琵琶湖に蓮花は浮かんでおりませんけどね(^^♪



辨財天の御朱印


言わずもがな、弁天様とは七福神の一人である美貌の女神でございます。


日本では財福の神として、「金運アップ」「商売繁盛」にご利益をもたらすと伝えられます。


財運だけでなく、「美」「芸術」をつかさどる天女から転じて、芸能関係やファッション業界、芸術家などからも守護神として信仰されています。


本尊・八臂辯才天は秘仏ですが、9月に行なわれる「巳成金大祭」(みなるかねたいさい)の日のみ御開帳され、多くの参拝者でにぎわいます。


全国のパワースポットは、寺社領を挙げるケースが大多数を占めています。


以前、知人から上野恩賜公園はパワースポットなんだよって、教えてもらったことがあります。


『なんで公園なのにパワースポットなの?』って、ずっと疑問を抱いていました。


でもこれでやっと謎が解けました。


その昔、上野公園全領域は天海大僧正が開山した、東叡山 寛永寺の敷地内だった、と。


詳しくはこちら>>
▲東叡山寛永寺別院とされる「浅間山観音堂」は上野から離れた場所に建立されました。
群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原1053鬼押出し園内に鎮座しています(ご参考までに)。


2.エリザベス1世と徳川家康の共通点


初代将軍・徳川家康公と陰陽師・天海大僧正がともに生きた時代は16世紀~17世紀初頭。


時を同じくして、日本から遠く離れたヨーロッパのイングランドでも共通したドラマが展開されていました。


あくまで、以下の内容はデイジーがディスカバリーした、主観的ビューポイントでございます。


英国史上もっとも有名な、イングランドに繁栄をもたらしたエリザベス1世。


44年間にわたり、イングランドを平和へと導き、統治した女王さまですね王冠1王冠1王冠1


家康公と同じく、エリザベスには重要なポストとなる、一人の側近が仕えていました。


ジョン・ディー(John Dee)という下級貴族出身でしたが、名門ケンブリッジ大学にて修士号を取得された数学者、天文学者、占星術師、オカルト哲学者。


▼の2つの画像に付された年号をみて何かお気づきになりませんか??



右:エリザベス1世(1533~1603)
左:ジョン・ディー(1527~1608または1609)



右:徳川家康公(1542~1616)
左:天海大僧正(1536~1643)


その1
時代背景はおおよそ一致しますが、家康よりもエリザベスのほうが9歳早く誕生しています。


同じく、天海よりもジョン・ディーのほうが9歳早く誕生。


その2
エリザベスの側近であるジョン・ディーと家康の側近である天海は、ともに6歳年上。


その3
「九星気学」でみると、エリザベスと家康はともに「八白土星」。


ジョン・ディーと天海はともに「五黄土星」。


八白土星VS.五黄土星は相性(そうしょう)、最高の相性といえますドキドキドキドキ


こうしてみると、彼らの運勢や性格的なものは、概ね類似する傾向がみられます。


エリザベスと家康の性格を一言で表現すると、


「石橋をたたいても渡らない」慎重な性格。


また、2人の側近はどちらも長寿をまっとうしています。


エリザベスが69歳で没したのに対しジョン・ディーは81歳没。


家康が74歳で没したのに対し天海は108歳没(化け物!?)


両者ともに平均年齢が50歳にも満たなかった時代において、大往生を遂げています。


日本は戦国時代、ちまた戦乱の世。


イングランドは王位継承権争いが泥沼化。


両国ともに、陰謀、裏切り、暗殺、スパイ活動などが絶えない暗黒時代。


エリザベスが女王の地位を獲得し、家康が天下を勝ち取ったのは、けっして表には華やかに登場しない黒幕の存在があってこそ。


その黒幕こそ、エリザベスの腹心ジョン・ディー、家康の腹心天海僧正なのでした。


もしこの2人がいなかったら、両国の歴史は大きく変化していたといっても過言ではありません。


前回の内容でも触れたとおり、天海の本業は寛永寺の住職ですが、陰陽師にも精通した人物。


時刻・暦・天文学・占星術については、みっちり勉強してきたことはいうまでもありません。


それとは別に、彼には努力だけでは手に入らない、先天的な能力がそなわっていました。


ちょっと掘り下げてみるとオカルトの領域です~~


妖術を駆使し、千里眼や読心術、いわば超能力者や預言者といわれる、選ばれし者だったとか。


一方、ジョン・ディーも天海と同様に、数学者、天文学者、占星術師の域にとどまらず、錬金術の研究、水晶玉観照による心霊研究、交霊実験と魔術の披露にも事欠きません。


そんな、超自然的能力を秘めた人間が守護してくれるとなれば、とても心強いではありませんか。


とはいえ、ジョン・ディーはエリザベス、天海は家康の忠実な側近であることに違いはありません。


その立場をわきまえ、それぞれ強い信頼関係で結ばれています。


なので、余計な口出しはしません。


「親しき仲にも礼儀あり」なのです。


相談役に徹することをお役目として、現実的で適切なアドバイスを伝授することが彼らの使命。


何か危機が迫ったときだけ助言を与えるのでした。


時代背景と重要な立場ゆえ、エリザベスと家康は何度も命を狙われそうになり、危機一髪で難を逃れる経験をしています。


たとえば、2人の側近が囁く警告は以下のような内容


「あたかも親切さを装い、陛下に好意を寄せているように見せかけておるが、本心は陛下を陥れ、いずれ命を奪うことを企んでおりますぞ。用心せよ!」


と、いった具合。


そのような警告に驚きの様子をみせることもなく、エリザベスも家康も淡々とした態度で接します。


「さようでござるかー?」


みたいな反応。


そして、2人はその警告を素直に聞き入れ、持ち前の慎重さが功を奏します。


警戒した人物に対しては、あからさまな敵意を示すことを避け、平静さを装い、相手に気づかれぬよう冷静沈着に遠くから観察するスタンスを演じます。


うーーーーーーん!!お見事!!


なかなか真似できませんねー”(-“”-)”


デイジーだったらどうでしょう…?


「おだまり!あの人は私を裏切るようなこと絶対になさらないわ!」


なんて反論してしまったかも(^^♪


天下を治め、江戸幕府を開いた初代将軍・徳川家康公は、日本史に輝かしい名を馳せています。


家康公の死後、天海僧正は2代将軍・秀忠公、3代将軍・家光公にも仕え、108歳まで長生きしたと伝えられます。


その後も徳川家は栄華を極め、15代将軍におよび265年間にわたり、世界に類を見ない平和な治世「江戸時代」を築くことに成功。


一方、イングランドではエリザベス1世の死後、ジョン・ディーはどうなったのでしょうか。


時代は変わり、ジェームズ1世(1566~1625)の御代。


彼は大の魔術嫌いであったとか。


また、占星術師や預言者といったものは、信ぴょう性が薄いウサンくさい人物と否定。


非科学的かつ悪魔崇拝的とみなし、ジョン・ディーを宮廷から追放します。


国王の偏狭によりジョン・ディーは職と地位を失い、1608年ころ、モートレイクで貧困のうちに死去されたとのこと。


なんて哀れな末路なのでしょうかしょぼん


それにしても、80歳近いお爺ちゃんを、やすやすと追い出すなんて!

 

西洋人って残酷ですねドクロ


もし彼がジェームズ1世から寵愛を受けていたら、天海のようにア・リトル・オーバー100歳まで生きたかもしれませんね。


ジョン・ディーが追放されたあと、イングランドはどうなったのでしょうか。


エリザベス1世女王が統治した平和な国家は幕を閉じ、またもや国は傾きはじめ、英国史特有のおどろおどろしい血塗られた歴史に逆戻り。


こうしてみると、エリザベスや家康のように、トップの座につく人の特徴は、根本的に平和主義者である傾向が強く感じます。


感情論より理性論、ドンキ・ホーテ型よりハムレット型、支配欲・独裁欲より平等主義etc.


帝王学に携わる人間は、気合だー!!なんて根性論を並び立てるより、民主的な人柄と論理的頭脳の持ち主のほうが、思いがけないことに平和な国家を形成する確立が高いように感じます。


洋の東西を問わず、私利私欲に暴走しがちで、貪欲な野望で権力を手にした人間は、長続きせず、敵陣や革命によって滅ぼされてしまう史実って結構ありですね。


ところで、女性は占いが好き?


そうとも限りません。


また、占いビジネスは女性ばかりで成り立っているわけではありません。


男性は占いに関心がない?


これも誤解と偏見です。


実のところ、政治家、実業家、財閥の重役などは、たいてい専属の占い師がついているとのこと。


21世紀はジェンダー平等社会。


まだまだ日本は遅れている?なんて否定的な意見も拡散していますが、確実に女性の社会進出は明確になっています。


もしも、あなた様が〇〇会社の女社長、女性〇〇知事、一国を担う女王さま、近未来の女性天皇だったらどうなされますか?


デイジーだったら、エリザベス1世や家康公のように、信頼できる占星術師を任命いたしますわヾ(  ̄▽)ゞオホホホ


とはいえ、人の弱みにつけこむ金銭目当て、詐欺まがいのニセモノ占い師には用心しなくてはいけませんドクロむかっ


天海僧正やジョン・ディーのようにホンモノといえる占い師は、そう簡単に探し出せるものではありませんキラキラキラキラ



ロンドン塔内に展示された家康公の甲冑


去る2013年は日英国交400年。


ここで、意外にも知られていない史実を発見。


なんとロンドン塔ホワイト・タワー武器博物館に、家康公の甲冑が納められているではありませんか!


現在は、英国北部の都市、リーズにある英国王立武器博物館に展示。


徳川家康公と交流があったジェームズ1世に2代将軍・秀忠公が贈ったものとされます。


家康公、秀忠公は、ともに開国主義者だった様子がうかがえます。


イングランドと家康公の親密な関係は、偶然の一致としかいいようがありません。


それにしても、なんて皮肉なことでしょうか。


ジェームズ1世はジョン・ディーをしりぞけたにもかかわらず、はるか極東の島国に暮らす家康公と秀忠公と文通までしていたとは驚きですね。


3.徳川家康公を祀る神社・上野東照宮


上野東照宮は、寛永4年(1627)に創建された徳川家康公(東照大権現)を神として祀る神社です。



上野東照宮の大石鳥居


石造明神鳥居(せきぞうみょうじんとりい)とも呼ばれ、寛永10年(1633)に造営されたとのこと。


鳥居はもう一つあり、不忍池前の動物園通り側にも、不忍口鳥居と呼ばれる石造の鳥居が建っています。



まぶしく輝く金色殿


人目を惹く美しい「金色殿」は、参道側から順番に拝殿、幣殿(石の間)、本殿の3部構成になっています。


慶安4年(1651)に建てられたとされ、国の重要文化財に指定されています。


家康公の威光を世に示すために、豪華に金箔が用いられたのでしょうか。


上野東照宮の建物などはその後の幕末の上野戦争、関東大震災、第二次世界大戦などでも焼失することなく、当時の様子を今でも見ることができる大変貴重な遺構として大切にされています。


そのような、難を逃れてきた奇跡にも、家康公の強運パワーが伝わってきます。



旧寛永寺五重塔


境内からの眺めも美しい五重塔。


五重塔は上野東照宮の一部として、寛永8年(1631)に創建されたが、寛永16年(1639)年に焼失。


同年、幕府によって再建されたのが現在の塔であり、重要文化財に指定されています。


五重塔は上野動物園内にあるため、間近で見るためには、動物園に入園する必要があります。


動物園に五重塔とは意外なコラボですね(^^♪



徳川家康公づくめ


上野東照宮の絵馬には、五月人形でも人気の、家康公の兜(かぶと)が描かれたデザイン。


右下の手裏剣(しゅりけん)の御守は、外国人から人気なんだとか。


日本は「忍者の国」って憧れとイメージからでしょうか。


けれども、covid-19のパンデミック以降、インバウンドが激減したためかと思われます。


残念ながら、現在は手裏剣の御守は授与できません。


上野東照宮は、パワースポットとして人気で、連日多くの参拝者が訪れます。


歴史的な見どころも豊富で、上野のおすすめ観光スポットの一つとなっています。


天下を治めた家康公にあやかりたい願いから、出世や勝利、仕事運上昇、健康長寿などにご利益があるとされます。


ホテルココ・グラン上野不忍からは徒歩10分程度で到着。


こんな時代だからこそ、家康さまのような偉大な人物が必要とされているのかもしれません。


※画像は2019年10月18日撮影


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御朱印


季節やイベントなどにより、デザインが変わるユニークな御朱印。


9月中旬~下旬・10月頃にかけて、ぼたん苑にて開催される「ダリア展」期間中の限定御朱印。


右下には赤いダリアのスタンプが入ります。


右側の長方形の箱は、戦国武将・徳川家康をイメージして調合されたお香。


家康公が愛した、沈香をベースとした渋みのある荘厳な香りに仕立てています。


お香は、谷中散歩中に出会った、お香専門店「香源 上野桜木店」にて購入したアイテム。


ところで、御朱印の中央に見える印判に、何が書かれていると思いますか?


ちょっと解読しづらいのですが~


実は3方の名前が書かれていました。


右:天海僧正
中:東照神君
左:藤堂高虎


上野東照宮のご祭神が徳川家康公であることは前述したとおり。


家康公がこの世を去ったあと、神として尊崇されるようになり「東照神君」と呼ばれるようになります。


なので、中央の名前は徳川家康の別名。


天海僧正については、すでにご存知のとおり。


「藤堂高虎」ってだれ??…知りません。


史実によると、自らの敷地内に家康公を祀ったキーパーソンとされます。


なので、上野東照宮の前身は藤堂高虎の屋敷だったワケです。


ところが、慶安4年(1651)、家康公の孫にあたる徳川家光(3代将軍)が本殿を改築。


現在のご祭神は以下の3方


■徳川家康(初代将軍)
■徳川吉宗(8代将軍)
■徳川慶喜(15代将軍)


天海僧正の名前が消えたことに、寂しさを感じるデイジー。


それでも、御朱印に押印されている印判は、初期のご祭神が刻字されていることから、歴史の重みがズッシリと感じる喜ばしい印判です。


さて、ここで当時の平均寿命が30代とされた江戸時代初期。


天海さまは108歳の長命を保たれました。


医学の進歩した現在でも、なかなか100歳まで生きることは大変なことです。

 

また、108とは人間の煩悩(ぼんのう)の数と云われています。

 

大みそかに除夜の鐘を108回つくのは、これに由来するとのこと。

 

天海さまと結び付けて考えると、偶然というよりも必然でしょうか。

 

何か意味ありげなものを感じます。

 

天海大僧正は、様々な秘密のベールに隠された、謎に満ちた人物とされています。

 

実は豊臣秀吉と天王山の戦いに敗れた明智光秀が生き延びて天海大僧正に変身したという、とんでもない伝説まで…。

 

はて?真偽のほどはいかほどで?

 

現在、東京(江戸)に暮らす私たちは、この地によき磁場をもたらし、結界を張り巡らし、平和な礎を築いた天海さまの恩恵を少なからず受けているのかもしれません。

 

これからも、東京は日本の中心として機能し続け、めざましい発展を遂げていかれると思います。


そんな有り難い天海さまから健康オタクの家康さまへ伝えた、長生きの秘訣を紹介します。

 

✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩

気は長く つとめはかたく 色うすく 食ほそうして 心ひろかれ


〈現代語訳〉
短気を起こさず気を長く持ち、しっかりと働いて、あまり色欲におぼれず、食べ過ぎず腹八分目にして、心をひろくして生きなさい

3代将軍・家光さまへ伝えた、長生きの秘訣は以下のとおり。

長寿は 粗食(そじき) 正直 日湯(ひゆ) 陀羅尼(だらに) 折々ご下風(かふう) 遊ばさるべし


〈現代語訳〉
長寿の秘訣は、ぜいたくな食事をしないこと、正直であること、毎日お風呂に入ること、陀羅尼(だらに)という仏教の呪文を唱えること、そしてたまに「おなら」をなさることです

 

〈寛永寺教化部より抜粋〉

 

✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩

 

意外にもシンプルなんですね(^^♪

 

病気を引き起こす短命の元凶は、特に「暴飲暴食」「ストレス」にあることを強調しているようです。


「下風=おなら」とうい言葉が出てくるとは意外w


「日湯=毎日お風呂に入る」習慣、いにしえより日本人がキレイ好きな民族であった様子が理解できます。


Health is better than wealth.
健康は富にまさる。


皆さまも、これらの教訓を真似してみてはいかがでしょうか。



ホテルココ・グラン上野不忍の定番プランの紹介ですラブラブ



結婚指輪アニバーサリープラン結婚指輪

 

6月といえばJUNE BRIDE(6月の花嫁)…草木もほほえむ6月ウエディングドレスウエディングケーキ花束


そんなロマンチックなイメージを抱きがちラブラブ


西洋では「6月に結婚した夫婦は幸せになる」との迷信が、いまでも息づいていますラブラブ


日本でも毎年6月には多くのカップルがゴールインラブラブ


アニバーサリーだけでなく、銀婚祝い、金婚祝い、お誕生日などにもご活用いただけます。


当ホテルご宿泊の折には、ご検討いただけましたら幸いでございます。


※ご予約は「公式サイト」「楽天トラベル」「じゃらん」国内サイトのみとなります。
 海外サイトからはお申し込みいただけません。


詳しくはこちら>>



本日もラストは素敵な曲でお別れ音譜



デイジーお気に入りの国内ミュージシャン松任谷由美(ユーミン)ラブラブ


「ジャケ買い」っていわれるように、皆さまもレコードやCDのジャケットのデザインに惹かれて買ってしまわれた経験あるかと思いますw


当たり外れがあり、当たればラッキー、外れたときは、無駄使いしてしまったことが悔やまれますw


ところが、1回も外れたことのないアーティストがいます。


それが、「ユーミン」として親しまれているキャリアと実績あるカリスマ歌手、松任谷由美さんなのでした。


姉の影響により小学生時代からお気に入りでした。


ス・テ・キでしょー宝石紫宝石紫宝石紫


《宇宙図書館》2016年リリース


膨大な書物に囲まれた図書館を思わせる、知識の宝庫といえる四次元ワールド?


まるで宇宙の叡智を知り尽くした、未来のAI人間、宇宙人にでも遭遇しているようなイラストに魅了させられます。


《深海の街》2020年リリース


デイジーは女の子だけど、子ども時代からSFアドベンチャーファンタジーが大好き。


このジャケットを見るとジュール・ベルヌの作品にハマった思い出がよみがえってきます。


《海底二万海里》を彷彿とさせる、デザインにもワクワクと興奮しちゃいます。


歌詞、メロディー、パフォーマンス…ユーミンはデイジーにとってパーフェクトな存在。


男でもない、女でもない、LGBTQにも当てはまらない。


まさに性の限界を超えたアーティスト。


誰からも受け入れられ、独自のイメージを錯乱させ、心地よい世界へといざなう芸術的価値にリスペクト。


そんな貴重な個性を秘めたユーミンは、グローバルに評価される日本人歌手として誇りに感じています。


6月をイメージして、以前は結婚式や披露宴などで流れた、ユーミンのベストソングでお別れいたしましょう。



ANNIVERSARY~無限にCALLING YOU
Yumi Matsutoya 1989年作品


結婚当初は恋人のようにラブラブの関係でも、歳月の経過とともにお互いに馴れ合いが生じ、いつの間にかギクシャクした関係に…。


いまは共働きの世代。


「家事をあたしにばかり押し付けている」


「休みの日は怠けてごろごろテレビやゲームばかりしている」


「子供と遊んでくれない」


など、など、夫にたいする妻の不満は爆発。


そんな些細なことから喧嘩が絶えなくなるケースも。


それでも、いろんな苦難を乗り越え夫婦の“”が生まれることもあります。


大切なのは、いつでもお互いが“感謝”と“思いやり”の気持ちを忘れないことですね。


ちょっと重たい堅い歌詞ですが、心に響く名曲です。




浮世絵 揚州周延画《倭風俗 不忍池畔の朝露》19世紀


画像は楊洲 周延(ようしゅう ちかのぶ)師による作品。


そんな人知りませんでした。


不忍池に咲く蓮見に来ていると思しきご婦人方。


粋な着物をお召になって、皆おしゃれを楽しんでいるって空気が伝わってきます。


「名所江戸百景」を手がけた浮世絵師・歌川広重にも描かれている不忍池畔の風景。


ココ・グラン上野不忍では、お部屋の窓枠から不忍池を眺めることができます(一部のお部屋タイプは不可)。


そこは、江戸時代から変わらずの風景を現在にとどめています。


まもなく、ハスの花が見ごろ季節を迎えます。


画像の浮世絵のように、朝露の儚げな時刻に、蓮見を楽しんでみるのもいいでしょう。


とかく気が滅入りがちなレインシーズン。


いにしえより日本の先人たちは、情緒あふれる和歌を後世へと残し、読み継がれてきました。


日本人は、どんな季節にもうまく順応し、日々の暮らしのなかに美意識を取り入れる才能に長けた民族なのかもしれません。


こんな季節だからこそ、あじさいを思わせる色合いのワンピなどをお召しになり、虹色の傘をさして虹虹虹


自然の小径をお散歩されてはどうでしょうか〜♪


夏が待ち遠しいデイジーからでしたいちごいちごいちご