地震後1週間が経ちました。

死者の数は増え続けて、阪神大震災の時を越えてしまいました。

さらに、不明者が1万人以上という恐ろしいニュースばかりが、入ってきます。

首都圏では、被災地の状況よりも、福島原発の方に関心が移りつつありますが、

被災地では、そんなニュースさえ入らず、寒い中、この状況に堪えておられるのかと

思うと、いたたまれません。

放射能漏れは、世界的な一大事ではありますが、即、人体に影響を及ぼすほどでは

ないとのことですので、パニックに陥ることなく、冷静に行動してほしいものです。

とはいっても、各国大使館からは、帰国命令が出され、続々と出国している様子。

私は、今のこの状況を受け入れ、普通に生活を続けるだけです。


3月15日(火)

14日は、電車が混んでいて乗れなかったため、お休みしましたが、
火曜日は、普通に出勤しました。
意外にも、ホームには人がまばらで、通常の8割程度しか電車が動いていないにもかかわらず、
スムースに会社へと着きました。
お休みしている人が多かったようで、子供を関西など実家へ帰したという人が結構いました。
小さな余震は感じましたが、通常どおりに仕事をしました。


3月16日(水)

昨日よりは、電車に乗る人は多くなっていましたが、早く会社に着きました。
電車は、通常の8割程度の運行。
地下道も、会社も、電灯の半分は消し、いつもよりは、薄暗い中での生活です。
今まで、無駄に明るかったんですね。
この程度でも、慣れれば十分なので、復旧しても、このままでいいのではないかと思います。


3月17日(木)

この日は、急激に冷え込みました。
被災地では、昨日から雪が降っており、首都圏でも、最低気温が0度まで下がりました。
夜間に相当の電力を使うであろうことが予測され、会社も、11時~14時まで
暖房が切られました。
それでも、電力確保が難しいとのことで、仕事を切り上げることになりました。
15時半で、女性が退社、男性も順次帰宅の命令が出ました。

こんな時に不謹慎ながら、帰宅前に両替に行きました。
円高が急速にすすみ、一時は76円になっていました。
両替した15時半のレートは、79円でしたので、手数料込みで1ドル82円、
1ユーロ114円での両替となりました。

この日は、千代田区周辺の企業全てに、早期帰宅命令が出たようで、17時~19時は、
帰宅客で大混乱したため、入場規制が行われたそうです。
早く帰してもらって、助かりました。
逆に、いつものように銀座で飲んでいた主人は、がらがらの電車で帰れたと
言っていました。
(人と同じ行動をしないことが大切??)


3月18日(金)

3連休に絡めて、お休みを取って、実家へ戻る人たちもでてきました。
東北から遠くはなれた千葉の新浦安では、液状化で断水が続いています。
阪神の時もそうでしたが、新興の埋立地では、液状化の被害が出ます。

この日も、11時から会社の暖房が止まりました。
こんなこともあろうかと、厚着で出勤した人が多かったですね。

計画停電が、きっちり実施され始めて4日目、この日うちのグループは
18時20分~22時まで停電の予定です。
なぜか、うちは、まだ一度も停電になっていないのですが、グループに入っているからには
いつ停電するかわかりません。
帰宅して夜10時まで停電では、何もできないので、夕飯を食べてから帰ることにしました。
主人と18時に合流する約束だったのですが、この日は、主人の会社のある港区に
早期帰宅命令が出てしまいました。

丸ビルの飲食店も21時までの営業に短縮され、その他の商店も18時までだったり、
外資系のエルメスやケイトスペードなどの店舗は、しばらく休業との張り紙。。

新丸ビル7FのSAWAMURAで、食事をしました。
久しぶりの外食。
いつもと変わらない店内の様子。
震災前に時がもどったかのような感覚。。

イメージ 1


しかしながら、いまだ、不明の人々、不便な避難所生活、原発現場で必死に
放水活動をする人々を思うと、こうして普通に生活していることに、
罪悪感さえ感じてしまいます。


3月19日(土)

今日の計画停電は、すべて実施しないとのことですが、明日からの予定は未定のようです。