








私はカナダにいたため、家族が気遣って知らされていなかった。
父の実家は山形の鶴岡という日本海に近い小さな村にあり、東京から行くのはえらく交通の便の悪いところにある。
現在父は足がおぼつかなく誰かの補助なしには遠出はできないのだが、運悪く春先に私の母が肩を怪我して手術のため入院中だったこともあり、父は実の兄にもかかわらずお葬式にも出られなかったのだ。
たくさんいた兄弟姉妹のうち父と伯父だけになってしまっていたので、伯父が他界したことによって父一人になってしまったのだ。
夏に帰国してまもなく事情を知り、ルナっつの秋休みにあわせて父を山形に連れて行った。
ちなみに母も同じ鶴岡の出身なので、両家の墓参りが主な旅の目的。
私自身、小学生のころは夏休み、冬休みを田舎に行くのを楽しみにしていて、歳の近い従姉妹と田舎で遊ぶのが恒例だった。
かれこれ20年以上も鶴岡に来ることがなかったのだが、整備された国道や高速道路に時代の流れを感じつつもお寺の周りや古い商店街なんかは昔のまんま存在していて、胸がギュ-とした。
一番代表的なのは父の実家と母の実家。父の実家は伯父の息子夫婦、つまり私の従兄弟が大黒柱になり家を現代的に建て替えて、農家は続けていても昔の農家の面影は家からはまったく想像できないくらいにきれいになっていた。
反対に母の実家は今現在祖母が東京でホームに入ってるので、家は残っているけどもガスも電気も止め、かろうじて古いまま建物が存在するのみになっている。風通しと様子見のため一歩家の中にはいると、まさにトトロの世界、真っ黒クロスケが出そうだ。
小さいころとても怖かったボーンボーンとなる振り子時計も、家の空気と同じように止まっていて不思議な感じがした。
仏壇はあるものの、位牌などは祖母と一緒に東京に来ているため、きっと今は仏様は住んでいないのだろう。でも夏休みに蚊帳をはって寝泊りした奥の和室には、一度も出会ったことのない祖父の写真が今でも飾ってあって、家を守っているようだった。
祖母の旧姓、母の旧姓、そして私の旧姓、ルナっつの代で4つの姓であることを考えると、なんて長い歴史なんだろうと感じた。
母の、そして父の親族のお墓を転々として手を合わせた。こうやって私が今あるのもご先祖様のおかげである。
長い間ご無沙汰していた伯母は現在80歳。伯父が亡くなったときの話や伯父の言葉などを聞かせてくれた。
伯母は思った以上に元気そうだったので一安心。伯父がいたときは伯父を支え、今は息子に従い、成人した自慢の孫に囲まれて、孫は世帯をもち同じ屋根の下でくらしている、まさに大家族の頂点に君臨。伯母の生き方がわかるような芯の通ったいまどき珍しい家族だった。
20年も鶴岡を訪れずにいたことを後悔しつつも、ルナっつを連れて訪問できたのは良かった。
人生で大切なこと、人との絆のこと、先祖を大切にする気持ち、
誰でもわかりそうだが、人生80年を生きた人の言葉はどれもありがたく聞こえた。
父や母は、生まれ育った町や山を見て「見納めかもしれない」などとつぶやいていたが、「また何度でもお供したい」と思えるほど、私にとっても意味のある旅だった。
父は伯父のお墓に長く手を合わせていた。
私にはまだまだ両親と心で話せるほど人間できていないので、未熟なうちはまだまだ口でおしゃべりしたいと思う。
伯母も両親も、長生きしますように。