実家に帰省する度に実家の断捨離をします。

この物が多い顛末は私に起因しているところも多く、

海外、東京暮らしでとりあえず必要のないものは実家に送る

実家は広く部屋数も多く、物置なども敷地にあり送っても困る

事はないように思えたのですが、

 

自分は送って存在を忘れていましたが、部屋に積まれた物の多さに気分が

悪くなり、そして高齢になった親の導線も考えて やれる事はやろうと

思ってのぞむのですが、

あまりの時間経過に伴い、難易度と重症度が高く、少し取り組み東京に戻る

という事しかできません。

 

子供の赤ちゃんの時の洋服、グッズ、バギー、知育玩具、百科事典を含めた勉強教材

状態は良く誰かが使う

かもという思いはありましたが、周りには利用してもらえる人はいなかったのも

事実です。

 

私は読書家という事もあり、たくさんの本も買い段ボールの中に入り時間と共に変色していう

本もあり、直視するのがつらくなります。

あの時は忙しすぎて、とにかく物を親元へ移動させて自分から見えなくさせていましたが、

最期の始末まで考えて物を購入する事ができていない

自分も嫌になったり、物にくっついた感情が押し寄せてきて、苦しくなります。

 

 

高齢の親はあれほど放置してしまったけれども、もう管理する力もなく自分でやることも

できないので、私が断捨離をという思いで望みますが、

 

 

時間経過が長いこと、物の量が多いこと、簡単に物が捨てられず、分類して仕訳をして、集積所まで

運ばないといけません。

これを一人でやる体力や精神力がない 

他に手伝う家族がいないので、ポツポツと始末をする計画でいます。

鈍感な親は人ごとです。

 

 

 

今回も短い帰省中に断捨離のふるい分けをしただけで、何かが大きく変わったわけでは

ありません。実家にいくとちょっと無意識に置いたりするものが迷宮入りになって

しまうので、そこは気をつけています。

 

 

 

 

 

 

物があれば安心、物があれば豊かさ、物が大切 そのような時代に生きている親世代は

その概念を捨て去る事は難しそうです。

今有家の現在位置がわからず、何を捨てて良いのかもわからず、見たくないから見ない

あとの世代に押しつける こういった構図は避けたいものです。

 

 

 

人生の折返し地点は通りすぎたと思われる私は、如何に大切で、必要な物だけに

囲まれいつ命が無くなっても 子供世代に課題を追わせることもなく

ここから先は自分の物に対する考え方を変えて行きたい物です。

 

 

 

気分がわるくなり実家断捨離はまた次へ持ち越し、

時間をかけてやっていきます。