子育てを真っ只中の時は、あー早く大きくなって欲しいな!
自分の時間が欲しい、身体的にヘトヘトだよ!
早送りで成長してくれないかと思う事が度々ありあました。
頼れる親や親戚、友達がいない私は一人ですべてを引き受けて
いたからです。
それが役割と思い込んでいました。
成長した子供が留学を決めた時も
その準備と、細かな事務手続きに追われ、実感することもなく
日々を過ごし、そしてその日はやってきました。
留学前日に必要な物を購入する ゆるっと感は何でも手早く
手に入りスマホを当り前の現代っ子
前もって準備したい私とは対極をいきます。
それでも大きなスーツケースを二つ用意し、空港に向かい
旅だって行く子供の後ろ姿をみていると、
まるでハートブレークのような心持ち
ぽっかり胸に穴があき、この喪失感はなんだろうと
思っています。
自立的に、自分の道を歩むように、基本本人のやりたいことには
反対をせず、応援のみ。
私の事を 友達だと 思っている???という発言は
ちょっと驚かされましたが、 それも現代にはフィットするのかもと
高度経済期の親に育てられた私は、親はえらく絶対
癇癪持ちの父親と、それに従う母親、でも母親は
従う事で働く事もなく、割とのんびり生活できました。
自分を守る為に子供サイドに母親がついてくれないのもありました。
そういった歪んだ関係が苦手で、学業を機に家をでました。
子育てをする度に、自分の育てられ方に憤りを感じる事も
あります。親が偉い、お金を稼ぐのは偉い、、男は偉い、こういった
上からの考え方は 今は必要ありませんし、
ただその時代や親の背景を考えれば責める気持ちもなく、反対をみれば
たくさんのギフトもあったのだと感謝を
古い考えにひっぱれそうになる私の固定観念は、子育てをする中で
打ち破られ、むしろ子供がそういった教えをくれたのだと思います。
私の大好きなこの言葉
あなたの子供はあなたのこどもでない。
彼らはそれ自身を熱望する生命の息子、娘なのだ。
彼らはあなたを通じてやってくるが、あなたから来るのでない。
彼らはあなたとともにいるが、あなたに属しているのではない。
彼らは自分の考えを持っているからだ。
あなたは彼らに体を与えても、魂を与える事はできない。
彼らの魂は明日の家に住んでいるのだから。
あなたは夢の中ですら、その家を訪れる事はできない。
あなたは彼らを愛そうとしてもよい。
かれども彼らにあなたを愛させようとしてはならない。
カーリル・ジブランの言葉
この喪失感を味わいながら この言葉を何度も読みます。
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