今までのルーティーンから外れました。
満員電車に不快な思いで乗り、経理の仕事での集中が肩こり、頭痛で苦しみ
鎮痛剤の飲み過ぎ、頭痛がひどくなり昨年はMRIの検査も受けました。
今存在している時空は嘘のような毎日
時折もう1人の自分がでてきて
「会社の仕事に戻れ!怠けている場合ではない!まずは安定した仕事を探せ!
年齢とともに、雇ってもらえないぞ!遊んでいないで働けと」
一日に何度もこの言葉が浮かびます。
遊んでいるのではないと!
道筋を整理すると今は第二キャリアを探している人生の棚卸しの時期、今日やれるベストを
尽くせばよいのではないかと思考を組み替えます。
そんな中で朝夜の瞑想をするようになりました。
マインドルフネスの今有る状態に気持ちを向けるというより
もう少し大きなアプローチというところです。
遡りますと、鎌倉時代は飢饉や自然災害に悩まされ
人々の気持ちが荒廃してくるときに鎌倉仏教がスタートしています。
法然がこの世は末法であるから、他力門で道を開いていく
法然、そして親鸞、時宗は「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える
日蓮は「南無妙法蓮華経」題目唱和を用い人々の救済を始めます。
そこでもう一つ、座禅瞑想を通して悟りを開く自力門
道元はただひたすら座禅に打ち込む 只管打坐を通し 心身の執着から時離れ
無我に徹することで悟る。
日常の毎日の好意も修行であり、掃除や洗面も心を真っ直ぐにする行為であること。
そしてもう1人は栄西 公案を用い詩との対話によって悟りを開く
看話禅を説いていきました。
そんな昔に思いを一瞬はせ、瞑想をしています。
時には短い時間になってしまいますが、内側で気づき、源の存在に繋がり静寂の
時間を過ごせる事を目標にしています。
始めたばかりの私は思考がぐるぐる動き、これやらなきゃ!とかいつも
瞑想中に浮かびますが、それにダメ出しをするわけでもなくそういう自分をも
俯瞰する時間です。
瞑想は人生の質をアップさせ、中庸というバランスのとれた立ち位置に
戻る時間なのかもしれません。
体調不良はあるけれど、それもそういものだと、必要以上に深刻にならなく
なったかもしれません。
瞑想までいかなくても、時折深呼吸して、呼吸を味わいませんか!!!
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