心

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そのまんまだけど、『心』は『心臓』あたりにあると思う。
胸が痛いとか良く言うけれど、
私は、胸というよりむしろ心臓が痛い…ってよく言ってました。
辛い時や悲しい時、心臓がギューーーって苦しくなるし、
イライラしてしまう時や
どうにもならなくてやるせない時は心臓がズキズキ痛くなる。
苦しい時や苛立がおさえきれない時は、
心臓あたりをドンドン叩くと楽になる。(私の場合は。)
でもでも、
見えない『心』は『心臓』にあって、
見える(感じ取れる?)『心』は『瞳』にあるような気もする(*^^*)
喜怒哀楽は、
体で表現出来る物でもあるけど、
隠そうとしても見える人には見られてしまう『心』は『瞳』に表れると思う。
目以外を全部隠しても、
嬉しいのか、悲しいのか、伝わりません?
(ま、口でもわかるじゃん?って思われちゃうかもだけど。)
もっと深く言えば、
笑顔でいても瞳の奥深くをよーーーく見つめてみたら、
実は苦しみや悲しみでいっぱいかもしれない。
それを感じ取る事はなかなか難しことだけど…。
ふとした瞬間に瞳にあらわれる感情、
その一瞬を見逃さないように生きていけたら素敵。
辛さや哀しみ苛立ちをそのまま態度に出せちゃう、
正直なのか自由なのかわからない人間も沢山いるけれど、
誰にも言えず隠して、いつも明るく振る舞ってる人だって沢山いると思う。
娘の『心音』という名前の由来は、
人の気持ち(心の音)を感じとり理解してあげられる、
思いやりのある人間になって欲しいという思いから。
人間の感情は音と似てるような気がしませんか?
高く明るく元気な音、低く暗く悲しい音。
私はピアノを習っていたので、
特にそう感じるのかもしれませんが、
わかりやすく感じ取れるものの中に、『音』も存在してる気がする。
あ、なんか、さっきまで『瞳』の話してたのに、
『音』に脱線してきてる。
色んな経験をしてきた今、
人に必要なものって『思いやり』だと思います。
『愛』も『優しさ』も『幸せ』も…、他にも沢山ありますが、
全部思いやりがあってこそじゃなかろーかね~。
ただ、大切な事は、
見返りを求めない『思いやり』。
見返りや偽善の『思いやり』、
これを持っている人は意外と沢山いる気がする。
心音には、
前者になってもらいたいし、
心音はそういう人間になってくれると思っています(親バカ登場)。
あ~、なんだかブログネタテーマから脱線し続けた。
『心』って考えたら、
色々感慨深くなってしまいました。